安東文吉
安東文吉(あんどうの ぶんきち、本名:西谷文吉、1808年 - 1871年5月26日)は幕末の侠客、博徒、目明し。安東一家初代。
略歴
- 駿河国安東村の長百姓、西谷甲左衛門の息子。
- 駿河国府中(現・静岡県静岡市駿河区)に一家を構えた二足草鞋の大親分。別名「暗闇の代官」、「日本一首継(にほんいち・くびつなぎ)親分。
- 駿河代官道案内の筆頭となり、凶悪犯でも当人の更生を考えて、そっと逃がしてやったので、首つなぎの親分と呼ばれた。
- その勢力は駿府を江尻紺久と二分したといわれ、清水次郎長も頭が上がらなかったといわれる。
- 明治の始めになって没す。
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