吉良勘蔵
吉良勘蔵(きらのかんぞう、本名・太田勘蔵)は幕末から明治の侠客、博徒。次郎長一家二十八人衆。吉良一家二代目。
略歴
- 愛知県幡豆郡吉良の人。
- 吉良仁吉の実弟。
- 荒神山の喧嘩で吉良仁吉が死ぬと、清水次郎長の指名により跡目を継承。
- 町の旦那衆の支援を受け上横須賀吹貫町で一家を構えた。
- 明治13年2月3日歿。行年41歳。墓所は愛知県幡豆郡吉良町上横須賀の源徳寺。
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