近藤大恵
近藤大恵(こんどう めぐみ、1947年2月14日- )は日本のヤクザ。指定暴力団・神戸山口組舎弟頭、徳心会会長。
略歴
生い立ちから三代目山口組
- 1947年(昭和22年)2月14日、熊本県生まれ。
- 1962年(昭和37年)3月、中学校を卒業後、大阪に上京し、大阪市阿倍野区を拠点に愚連隊として暴れまわった。
- 1964年(昭和39年)、三代目山口組・柳川組と衝突し、以降は東京に移住し、東日本と西日本を転々とする生活を送る。
- 1980年(昭和55年)、三代目山口組・山広組・徳山組で渡世入り。
その後、徳山組内で「徳心会」を設立。
一和会
- 1984年(昭和59年)、山口組が四代目継承問題で、反発して脱退した一派が新団体「一和会」を結成し、山一抗争が勃発。
徳山組は一和会の直参に昇格し、近藤大恵は徳山組若頭に就任した。
- 1985年(昭和60年)、山一抗争が激化する中、東淀川区の徳心会本部事務所に一和会の代紋を掲げ、山口組側からの怒りを煽った事で、傘下組員が殺害される。
- 徳心会の本部事務所は山口組から計7回の銃撃を受けたが、計8回の報復を返している。
- 近藤大恵は傘下組員に山口組への報復を命じたとして、殺人未遂の教唆で懲役10年の判決を受け服役した。
五代目山口組・中野会
- 1995年(平成7年)、服役を終え出所。五代目山口組・中野会会長・中野太郎の舎弟として渡世に復帰。
- 1997年(平成9年)、中野会本部長に昇格。
- 同年8月28日、新神戸オリエンタルホテルのティーラウンジで、中野会傘下の襲撃部隊が五代目山口組若頭・宅見勝を銃撃。
宅見勝は38口径と45口径の拳銃で計7発の銃弾を受け、救急搬送されたが約1時間後に死亡した(宅見若頭射殺事件を参照)。
- この事件から3日後、中野会会長・中野太郎は、宅見若頭射殺事件により五代目山口組から破門処分となり、後に絶縁処分となる。
独立組織・中野会
六代目山口組・二代目中西組
六代目山口組・五代目國粹会
- 2008年(平成20年)、六代目山口組執行部の指示により、五代目國粹会に移籍。
國粹会では舎弟頭補佐、相談役などを歴任。
- 2013年(平成25年)、近藤大恵は引退し、徳心会は解散した。
神戸山口組・俠友会
- 2015年(平成27年)8月、六代目山口組分裂騒動で、新団体・神戸山口組が結成されると、近藤大恵は神戸山口組傘下の俠友会に舎弟として渡世に復帰し、徳心会が再結成された。
- 近藤大恵は五代目國粹会から絶縁処分を受ける。
- 2017年(平成29年)9月、俠友会舎弟頭に就任。
神戸山口組直参
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