趙 春樹
趙 春樹(しょう はるき、しょう しゅんじゅ、1929年-1999年)は日本のヤクザ。指定暴力団・稲川会最高顧問、四代目箱屋一家総長。
略歴
- 1929年、中国河北省天津市に生まれ、第二次世界大戦中、山形県酒田市に連行され強制労働をさせられた。
- 戦後、東京向島で愚連隊の頭領となった。
- 1948年、御殿場の賭博小屋で揉め事が起こり、モロッコの辰こと出口辰夫が趙春樹を連れてその賭博小屋に行った。
賭博小屋には稲川角二、稲川の若衆・長谷川春治(のちの碑文谷一家九代目)、同・森田祥生(のちの森田一家初代)がいた。
出口辰夫は稲川角二に趙春樹を紹介した。
- 時期は不明であるが箱屋一家の四代目を継承した。箱屋一家は日本国粋会に加盟していた。
- 1955年頃、趙春樹の抗争事件に石塚義八郎の若衆・石井隆匡(のちの横須賀一家五代目、稲川会会長)が加勢し、石井隆匡との縁が生まれた。
- 1967年、日本国粋会を脱会し稲川組に加入した。
- 1972年、賭博開帳図利罪で三年の懲役を終えた稲川聖城が出所し、稲川組は稲川会へ改組した。趙春樹も専務理事に就任した。
- 1980年から1985年まで趙春樹は二代目体制の稲川会理事長を務めていた。
- 三代目体制となった稲川会では常任相談役、最高顧問を歴任し、組織繁栄に貢献した。
- 1999年、逝去。
- この項目は書きかけ項目です。
- 役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
※誹謗中傷や悪戯、あらし行為、悪質な売名行為、他サイトの宣伝などは厳禁とします。
- 編集される際は「テキスト整形のルール(詳細版)」をご覧下さい。
- 編集を依頼される場合、他のユーザーに編集協力を依頼する時は下記の【このページの編集依頼】または【加筆・編集依頼】から編集対象のページタイトル・編集内容をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。
運営宛に編集依頼する時は【メールで編集依頼】から依頼して下さい。
【このページの編集依頼】