竹中組
三代目竹中組(たけなかぐみ)は、兵庫県姫路市、兵庫県神戸市中央区多聞通2-5-13、岡山県岡山市中区新京橋1-7に本部を置いていた暴力団。
来歴
初代
二代目
- 1984年6月23日、竹中組若頭・岡山竹中組組長、竹中武は、二代目竹中組組長に襲名し、四代目山口組に参画。実際には竹中組の跡目を継いでいたが二代目を名乗ってはいなかった。
- 1985年2月1日、福崎インターチェンジで兵庫県警機動隊と岡山県警により、野球賭博開帳で逮捕された。
山一抗争
- 1985年1月26日、一和会常任理事・悟道連合会会長・石川裕雄が指揮し、一和会・二代目山広組若頭・後藤栄治、同組行動隊長・長野修一、実行犯の同組員・長尾直美、田辺豊記、立花和夫により、収監前の竹中正久を襲撃した。
神戸の山口組新本部の上棟式後、大阪府吹田市のマンション「GSハイム第二江坂」の1階エレベーター前で竹中正久を銃撃。
四代目山口組組長・竹中正久、山口組若頭・豪友会会長の中山勝正、山口組組長秘書・南組組長の南力が銃撃され、中山勝正は4時間後に死亡、南力は即死、竹中正久は大阪警察病院で翌27日に死亡した。
- 1985年2月1日、兵庫県警機動隊と岡山県警は、野球賭博開帳容疑で、竹中組組長・竹中武を逮捕し、1年5か月間拘留。
- 1985年3月24日、竹中組系塚川組組員・桃井省三が、兵庫県の甲子園球場の駐車場で、一和会特別相談役・大川覚の長男を銃撃。
- 1985年10月27日、竹中組系杉本組系輝道会会員・清山礼吉と山本尊章が、鳥取県倉吉市のスナックで、一和会幹事長補佐・赤坂組組長の赤坂進と同組員・田中義昭を射殺。
- 1986年1月21日、竹中組系大西組組員・前田哲也と山本孝道が、兵庫県加古川市で、一和会系加茂田組舎弟・小野会会長の小野敏文を射殺。
- 1986年2月27日、竹中組系柴田会会員・井垣道明と星山勲が、兵庫県姫路市深志野の四代目山口組組長の墓前で射殺された。
- 1986年5月21日、竹中組系二代目生島組幹部・北原智久と大宮真浩が、大阪府大阪市の路上で、一和会副本部長・中川連合会会長の中川宣治を射殺。
- 1988年2月17日、兵庫県警は、兵庫県神戸市東灘区御影の路上で、竹中組若頭補佐・増田組組長の増田国明と同組員・西浦恵信の乗車していた車内から拳銃4丁、アメリカ軍用M67型手榴弾2個、実弾25発を発見し、現行犯逮捕。
- 1988年5月14日、竹中組組長秘書・安東会会長の安東美樹らは、兵庫県神戸市東灘区御影の一和会会長・山本広の自宅前で、警備中の警察官3人を銃撃。
- 1988年10月1日、竹中組系二代目西岡組組員は、愛媛県松山市の全日空ホテル前で、一和会系神竜会会員・山下竜二を銃撃し、山下竜二は翌日死亡。
- 1989年2月27日、竹中武は四代目山口組若頭補佐に就任。
- 1989年3月30日、一和会会長・山本広が、引退と一和会の解散を表明。
- 1989年4月27日、三代目山口組若頭・二代目山健組組長の渡辺芳則が、五代目山口組組長に襲名。
- 1989年6月5日、四代目山口組若頭補佐・竹中組組長・竹中武、四代目山口組舎弟・二代目森川組組長・矢嶋長次、四代目山口組若中・森唯組組長・森田唯友紀、四代目山口組若中・二代目牛尾組組長・牛尾洋二は、山一抗争終結に反対し山口組を離脱、解散した一和会に報復を続けた。
- 1989年7月28日、二代目竹中組組長 ・竹中武は独立組織となり「竹菱の代紋」を掲げた。本部は岡山県岡山市に置いた。
山竹抗争
- 一和会会長・山本広の引退と一和会の解散を引き換えに山本広の命を保証した五代目山口組は、解散した一和会に報復を続ける竹中組を一方的に攻撃する山竹抗争?に突入した。
- 1990年3月5日、竹中組組員・熊原健裕は、岡山県岡山市十日市東町の自宅で射殺された。
- 1990年3月12日、竹中組幹部・八栗拓一は、鳥取県倉吉市のJR倉吉駅前で射殺された。
- 1990年6月18日、岡山県警は、解散した一和会本部長・松本勝美の自宅を襲撃した首謀者として、竹中組組長・竹中武を逮捕した。
- 1993年8月27日、山本広が病死し、山竹抗争?は終焉した。
- 2008年3月15日、竹中組組長・竹中武は病死した。
三代目
- 竹中組組長代行・竹中正は、三代目竹中組組長を襲名。
- 2014年5月、三代目竹中組組長・竹中正が死去。
歴代組長
初 代 - 竹中正久(四代目山口組組長/三代目山口組若頭)1985年1月27日死去
二代目 - 竹中 武(四代目山口組若頭補佐/竹中組若頭)2008年3月15日病死
三代目 - 竹中 正(二代目竹中組組長代行/竹中組副組長)2014年5月死去
離脱した団体
杉本組
- 二代目竹中組舎弟頭補佐・杉本組組長・杉本明政は、二代目竹中組を離脱し、宅見組に参画後、宅見組組長代行に就任。
二代目西岡組
- 二代目竹中組副組長・二代目西岡組組長・青木恵一郎は、二代目竹中組を離脱し、宅見組に参画後、宅見組副組長に就任。
安東会
柴田会
大西組
- この項目は書きかけ項目です。
- 役職や名称等、人事の変更などで必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
※誹謗中傷や悪戯、あらし行為、悪質な売名行為、他サイトの宣伝などは厳禁とします。
- 編集される際は「テキスト整形のルール(詳細版)」をご覧ください。
- 編集を依頼される場合
ご利用者様に編集協力を依頼する場合は下記の【このページの編集依頼】または【加筆・編集依頼】から編集対象のページタイトル・編集内容をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。
運営宛に編集依頼するには【メールで編集依頼】から依頼して下さい。
【このページの編集依頼】