田中屋万五郎
田中屋万五郎(たなかや まんごろう、長谷部万五郎)は幕末の侠客、目明し。
略歴
- 八州回りの居住地である内藤新宿(現・新宿)中町、府中本町、大和田町の三カ所に居を構え、武州の岡っ引親分として威光は相当なものだった。
- 天保15年、実質上岡っ引きが給金制度になるに及び、府中組合、中野組合、大和田組合、青梅組合の4か所で同時に雇われていることからも、その勢力が伺える。
- 子分に府中丑五郎、新宿定吉、田無万吉、青梅吉五郎、川越藤吉等がいた。
- 勢力は、北は桶川、南は府中、東は内藤新宿、西は青梅と広範囲に渡った。
- 明治3年死去。75歳。
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