堺町事件
堺町事件 とは1981年2月4日に福岡県で発生した草野一家と工藤会の抗争事件。
概要
- 1981年2月4日水曜日、福岡県北九州市小倉の賑わう繁華街の夜に、初代草野一家若頭・大東亜会会長・佐古野繁樹と、工藤会理事長・矢坂組組長・矢坂 顕が、互いに至近距離から銃撃戦を繰り広げ、拳銃に装填された弾丸全てを撃ち尽くし、両者相撃ちで死亡した、歴史上前代未聞の事件。
事件の発端
堺町事件の発生
- 1981年(昭和56年)2月4日未明、北九州小倉の堺町にある高級ラウンジクラブ「美松」を出た前で、草野一家若頭・大東亜会会長・佐古野繁樹と、
工藤会理事長・矢坂組組長・矢坂 顕が偶然鉢合せした。口論は次第に激化し、双方が拳銃を乱射、映画さながらの激しい銃撃戦となった。
まず矢坂の警護に就いていた矢坂組組員が、その場で拳銃を数発発砲し、佐古野繁樹が撃たれた。しかし佐古野は倒れながらも腰から拳銃を抜き、
その佐古野の銃口は、たった2メートル程度の至近距離に立つ矢坂 顕に向け拳銃を発砲し、矢坂も隠し持っていた拳銃で応戦した。
結果二人とも拳銃の全弾命中させ撃ち尽くし、その場で佐古野繁樹と矢坂 顕の両名は出血多量で絶命した。すぐに地元警察が急行し、
立ち入り禁止にさせ現場検証を開始したが、目撃情報や検死鑑定、より精細な検証の結果、両名が至近距離から全ての弾丸を撃ち尽くし、
相撃ちで果てたと知るや、抗争事件としては前代未聞の大事件であり、その両名の執念に驚愕したという。この「堺町事件」から、
工藤会と草野一家の抗争は泥沼化し、当月だけで6件もの発砲事件が発生した。
- この後、草野一家と工藤会は双方の関連組事務所へ銃撃し、更には草野一家には三代目山口組系二代目石井組や伊豆組が、工藤会には反山口組である関西二十日会の縁につながる組長や福岡市の仲間が助っ人に駆けつけた。三代目山口組対反山口組の「九州代理戦争」となる緊迫した情勢となった。
- 1981年、稲川会会長・稲川聖城の仲裁により小倉北区の妙見会館にて工藤会と草野一家の手打ち式が行われ、完全に和解した。
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