土塩城之助
土塩城之助(ひじしおの じょうのすけ、別名・山田丈之助 (やまだ じょうのすけ)、山田城之助、本名・山田平十郎、1830年-1885年)は幕末から明治の侠客、博徒。新井一家の親分(三代目か)。
略歴
- 現在の群馬県松井田町土塩の人。
- 天保元年(1838年)2月2日、勇吉の長男に生まれる。
- 二十貫もある大男であった。
- 若い時安中城下にゆき、そこの道場に通って剣術を習い、免許皆伝の腕前であった。
- 家業の百姓を嫌い、天性の腕力も脚力も人並み外れて強かった。
- いつしか賭場に通うようになり、腕っぷしを看板にして、次第に博徒仲間に顔が売れて、新井一家二代目・金井延五郎の子分となる。
- 親分の延五郎が、信州小県郡尾野山に移ると、跡目を継ぐ。
- 郷里群馬県の民権運動に協力する。
- 明治17年、八城村に演説会場をつくり、子分を配置して警察と対立。
続く群馬事件には参加できず、18年6月30日警官隊に殺された。56歳。
妾のよねと寝ている所を、刑事に不意を襲われて、丈之助は裸で、二階から飛び下りて逃げようとしたが、刑事らに包囲され、路上で斬殺された。
- 明治18年6月30日歿。行年56歳。墓所は群馬県碓氷郡松井田町土塩山口の山田一統墓地。
墓は明治二十一年十一月子分の関綱吉らが建立した。
検索:新井城之助、新井丈之助
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