丹波屋伝兵衛
丹波屋伝兵衛(たんばや でんべえ、丹波屋傳兵衞、別名:半田屋竹之助、本名:多田竹之助、1817年 - 1890年)は幕末の侠客、博徒。東海道随一、伊勢の大親分といわれた。
略歴
- 文化14年(1817年)、伊豆国韮山の多田で生まれ、20歳を過ぎて伊豆を出た。
- 各地を転々としたのちに伊勢国古市へ来て、妓楼半田屋を始めた。
- 伊勢古市の大親分と呼ばれるまでになり、上州の大前田英五郎、伊豆の大場久八と並び上州系三親分ともいわれた。
- 穴太徳次郎の後ろ盾であり、荒神山の喧嘩で穴太徳次郎が敗れたあと、清水次郎長、神戸長吉らに決闘を申し込まれたが降伏した。
- 明治5年(1872年)、古市・中之町の繁栄策について、古市の有力者が連名で度会県に提出した陳情書には、半田屋こと多田竹之助と署名がある。
- 明治8年以降、古市を捨て関東の八王子に身を寄せた。
- 明治23年、死去。行年73歳。
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