会津小鉄会
八代目会津小鉄会(あいづこてつかい)は京都府京都市左京区一乗寺塚本町21-4に本部を置き京都府京都市左京区下鴨宮河町52-2に本家を置く指定暴力団。
主な施設
略歴
初代
- 1868年、会津小鉄こと上坂仙吉が一家を結成。
- 1886年、上坂仙吉が病死。
二代目
- 1886年、上坂仙吉の実子・上坂卯之松が、会津小鉄二代目を襲名。
- 1935年、上坂卯之松が死去。名跡が途絶える。
三代目
四代目
- 1986年7月、四代目から会長職を置き、理事長・髙山登久太郎が四代目会長を継承。三代目・図越利一は総裁に就任。
- 組織名称を会津小鉄会から会津小鉄に改称。
- 1997年2月、四代目・髙山登久太郎が引退。
五代目
六代目
七代目
八代目
系譜
初 代 - 会津小鉄
二代目 - 上坂卯之松
三代目 - 図越利一(中島連合会会長)
四代目 - 髙山登久太郎(二代目中川組組長)
五代目 - 図越利次(四代目中島会会長)
六代目 - 馬場美次(四代目中川組組長)
七代目 - 金子利典(四代目いろは会会長)
八代目 - 髙山誠賢
八代目会津小鉄会組織図
総裁
金子利典
会長
髙山誠賢
執行部
若 頭 - 新原 徹(新原組組長)
舎弟頭 - 大谷榮伸(京滋連合会長)
本部長 - 上野 隆(二代目淡海一家総長)
若頭補佐 - 金城隆志(四代目寺村組組長)
若頭補佐 - 二本柳 剛(三代目村田組組長)
若頭補佐 - 千頭 弘 - 勾留中
若頭補佐 - 河村佳弘
若頭補佐 - 澤野榮次(京滋連合会長代行・二代目輝侠会会長)
相談役
山岡敏雄
舎弟
小池秀利
丹羽勝次
北村光喜(二代目北村組組長)
総裁付
上原秀幸
伊藤貞幸
幹部
筆保重巳
長谷川健治
白濱善二郎(二代目金子組組長)
中野利明
原 正和
準幹部
新原勝夫
中村修一
松岡勝人
大田祥平
大山吉明
松谷茂和
大森悟志(京滋連合本部長)
長尾銀仁
松田 誠
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- 若頭補佐和剛会は八代目体制で三代目村田組に改称されています。 -- 会津小鉄会
- 三代目村田組の情報が無いので編集のしようがないです -- 一二三?
- 東京盛代西岡一家斎藤 初代斎藤忠三 二代目村田和久 三代目小川喜久男 小川喜久男は 会津小鉄会に移籍 会津小鉄会三代目村田組 組長を名乗る 小川喜久男が処分され 二本柳勝之が二代目村田組を改称し、柳心連合と改め自身が会長に就任も、その後二本柳勝之も処分とされ、実兄の二本柳剛が柳心連合を和剛会と改めるも八代目会津小鉄会発足と同時に三代目村田組に改称した。 -- 会津小鉄会
- 東京盛代西岡一家斎藤、村田組、柳心連合、和剛会までの -- 一二三?
- 東京盛代西岡一家斎藤、村田組、柳心連合、和剛会までの 系譜、時系列に矛盾がないですか?、処分の内容もお願いします -- 一二三?
- 小川喜久男と二本柳勝之の処分は除籍か破門か不明ですが、死去されての事ではない。小川喜久男は金銭面問題、二本柳勝之は健康面から共に辞めてます。 二代目村田組→柳心連合(三代目継承せず)→和剛会(実弟の基盤を引継ぐ)→三代目村田組(八代目発足と同時に組名を改称) 小川の後継となると借金のケツが来るのを避ける為、三代目村田組を名乗らず柳心連合とした。和剛会としたが、原田派筆頭若頭補佐だった事から、八代目体制移行時に三代目村田組とした。 -- 会津小鉄会