倉本組
四代目倉本組(くらもとぐみ)は和歌山県和歌山市元寺町西ノ丁25に本部を置き、和歌山県和歌山市楠本162-6に本家を置く暴力団で、指定暴力団・六代目山口組の二次団体。
主な施設
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略歴
- 1984年、柳川組出身の宅見組副組長・倉本組組長・倉本広文が四代目山口組若中に昇格。
- 1989年5月、倉本は五代目山口組若頭補佐に就任し、倉本組も最盛期2,000人の勢力を擁した。
- 1998年9月、倉本広文が死去。倉本組は跡目継承が行われず、貴広会(会長・津田功一)と倉心会(会長・小條鎮生)に分裂し、それぞれ五代目山口組の二次団体となった。
- 2005年、津田功一が貴広会を二代目倉本組と改称。
- 2008年10月、倉心会会長・小條鎮生が引退。津田力が倉心会二代目を継承し、六代目山口組の若中に昇格。
- 2010年、二代目倉本組組長・津田功一が引退し、若頭・河内敏之が三代目を継承した。
- 2015年10月、分裂騒動で、六代目山口組か神戸山口組かの選択を追求された。
初代の倉本広文は、柳川組出身で初代宅見組副組長を務めた後に四代目山口組若中になった経緯もあり、二代目宅見組への恩もあり態度を保留した。
六代目山口組は「河内敏之を裏切者」と恫喝し、除籍とした。
- 同月26日、河内敏之は寝室として使っていた和室で、寝間着姿のまま布団の上で心臓めがけ自ら拳銃の引き金を引き自殺した。
河内敏之は病院に運ばれたが、すでに心肺停止状態だった。右手近くにリボルバーの拳銃が落ちていて、争った形跡はなかった。
- 同年11月、三代目倉本組と二代目倉心会が合流し、二代目倉心会会長・津田力が倉本組四代目を継承した。倉本組は本部を奈良市から和歌山市内へ移した。倉心会は四代目倉本組内に置かれ、須賀義幸が三代目を継承した。
- 2022年6月18日午後5時ごろ、本部長補佐・案浦広樹と、組員・大野裕己?が、神戸山口組・侠友会会長と親交があるとみられている徳島市富田町の飲食店内で金属バットを振り回して入口ドアなどを壊し、建造物損壊の疑いで逮捕された。
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倉本組系譜
初 代 - 倉本広文(五代目山口組若頭補佐)
二代目 - 津田功一(六代目山口組若中)
三代目 - 河内敏之(六代目山口組若中)
四代目 - 津田 力
四代目倉本組組織図
組長
津田 力(六代目山口組若頭補佐・大阪南ブロック長)
執行部
若 頭 - 大野裕昭(六代目小山組組長)
副組長 - 稲月壕二(倉義会会長)
副本部長 - 塚原心一(二代目上野組組長)
若頭補佐 - 中井和義(三代目徳心会会長)
若頭補佐 - 中山 浩(二代目嵐興業組長)
若頭補佐 - 高島正憲(高島興業組長)
若頭補佐 - 坂上浩二(七代目吉本組組長)
若頭補佐 - 杉原聡志(力志会会長)
若頭補佐・本部責任者 - 坂本義道(三代目小船谷組組長)
若頭補佐 - 前田颯次郎(四代目永井興業組長)
若頭補佐 - 宮崎英次(宮崎組組長)
本部長補佐 - 工藤叡史(三代目小船谷組組長代行)
本部長補佐・組長秘書 - 志磨貴昭
本部長補佐 - 須藤正和(四代目國心会会長)
幹部
小泉 実(二代目小泉組組長)
岡田幸一(三代目西村組組長)
霧島吾郎
若中
堀之内利夫
武田 徹
末村 裕
若頭付 - 上本明久
渡辺賛美?
粟田健二
尾藤光一(三代目小船谷組若頭)
茂呂勇鷹(二代目広友会会長)
中 潤
幹事
柴崎友雪
宮崎信一
参事
森本武士
小野裕己
新谷政光
氷室光一(二代目上野組若頭)
宮原正志(宮崎組若頭)
平澤直人(宮崎組本部長)
山上賢一
橘 直樹
揚戸健太
相談役
上田信一
参与
東城新吾
中井義美(中井組組長)
柴田貞広
山本彰彦
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