東組
二代目東組(あずまぐみ)は大阪府大阪市西成区山王1-11-8に本部を置き、大阪府堺市西区草部7-5 601号に本家を置く指定暴力団。
略歴
- 初代の東清は池田大次郎が率いた池田組傘下、信貴組系組織の幹部だった。
- 1960年頃、信貴組の解散に伴い西成を本拠地として東組を結成。
- 1973年頃には120名を数えるまでになっていた。
- 1973年、東組は、山口組系山健組との抗争事件
- 1987年には、四代目山口組系杉組須藤組のちに、泉州抗争を引き起こし
- 1983年、時の関西地方でも屈指の勢力を有していた五代目酒梅組とのちに、新大阪戦争を引き起こし山口組などの大団体の傘下に収まることもなく、その創立から常に独立状態を貫いた上に他団体との縁戚関係の樹立も行わず、そういった理由から孤高の少数精鋭•喧嘩の東などと謳われてきた。
その後も数々の抗争事件を引き起こし
- 1993年8月、暴力団対策法に基づく指定暴力団に指定。
- 森田組組長・森田至郎が組長に就任したが、会津小鉄会との舎弟縁組問題で、東清により絶縁・除名(抹消)となった。
- 2010年、若頭・滝本博司が二代目を継承。東組本家から二代目東組に改称。
- 2014年、総長・東清が死去。
東清の本葬儀には全国の指定暴力団・21団体の代表者が弔問に訪れた。
- 2022年2月28日、二代目滝本組系を優先させた人事に反発し、内部分裂が生じた。二代目東組は、副組長、二代目清勇会会長・川口和秀を絶縁処分、若頭である三代目森田組組長、田村順一、若頭補佐兼組織委員長司成会会長土方基成、二代目東組若中 二代目清勇会若頭大野大介を引退除籍処分とし、二代目「清勇会」は家名抹消、傘下組織も解散し組員は引退。三代目森田組及び司成会も解散。傘下組織も解散となり組員は引退した。
- 2022年4月、二代目滝本組組長、中江常雄が若頭に就任。
系譜
初 代 - 東 清
組 長 - 森田至郎 - 絶縁(抹消)
二代目 - 滝本博司
二代目東組組織図(2022年4月)
組長
滝本博司
執行部
舎弟頭 - 稲葉浩二(稲葉組組長)
若 頭 - 中江常雄(二代目滝本組組長)
本部長 - 木村純壹(二代目滝本組特別相談役・木村組組長)
若頭補佐 - 宮脇信行(三代目赤松組組長)
慶弔委員長 - 奥山康行(稲葉組副組長・奥山組組長)
秘書室長 - 福本祐二(二代目滝本組舎弟頭)
組長相談役
桜井正友(桜井会会長)
幹部
神田英樹(二代目滝本組若頭・二代目司道會會長)
小村博文(二代目久住組組長)
直参
木村雄治(四代目関谷組組長)
林 久三(林組組長▪︎二代目滝本組顧問)
森岡憲史(二代目田村組組長)
本家付
土井圭希
西村 智(二代目滝本組舎弟頭補佐)
初田孝治(二代目滝本組本部長・木村組若頭)
中嶋雄治(二代目滝本組行動隊長 二代目司道會若頭)
竹本 勉(三代目赤松組若頭)
稲葉秀司(稲葉組若頭)
笠原貴士(四代目関谷組若頭)
市野 保
和田寿治?
過去の組織図
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