玉屋佐十郎
玉屋佐十郎(たまやの さじゅうろう、本名・合川佐十郎、相川佐十郎)は幕末の侠客、博徒。大場一家二代目。
略歴
- 静岡県三島市の人。
- 天保元年(1830年)12月21日、山梨県下塩尻村の上野源兵衛の次男に生まれ、文久2年5月17日、合川重吉の養嗣子として入籍。
- 大前田英五郎の子分とも。
- 現在の三島広小路(旧・大中島)に飯盛旅籠「玉屋」を開いていた。
- 佐十郎は元々甲州の生まれであったため、黒駒勝蔵と親しかった。しかしそのおかげで、明治4年には伊豆の温泉場に隠れていた勝蔵を甲府捕忘方の命により召捕らえなければならない、という辛い役どころを押し付けられることになった。
旧知の佐十郎の来訪には勝蔵も観念し、ついに縄を受け甲府に連れられて首を斬られた。
- 大場久八跡目で、「侠客大場ノ久八」に登場する。
- 兄弟分には黒駒勝蔵、身延半五郎、横浜高島町の下田兼、綱島小太郎、江戸根津愛太郎?、弁天安太郎。
- 子分には三津の瀬川弥平?、三島の石井半助、大平の稲村源次郎?、渡辺金次郎?、中島の長谷川由蔵?、渡辺精次郎らがいた。
- 弁天安太郎の本葬行列控帳に相川佐十郎とあり、静岡上ヶ土与市の香典帳に金五円三島合川佐十郎とある。
- 明治32年12月26日歿。行年75歳。三島を埋め尽くすほどの弔問客が訪れた。墓所は静岡県三島市本町の常林寺。
- 跡目は渡辺精次郎または石井半助が継ぐ。
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