摺沢吉之助
擦沢吉之助(すりさわの よしのすけ、通称・崖吉)は幕末の侠客、博徒。
略歴
- 東磐井郡摺沢村の人。
- 大番組にて體驅頗る肥大、容貌魁偉、一見堂々の偉丈夫なり。
- 自ら侠客を以って任じ、藩法を恐れずして仙台領内を跋扈し、人を殺すこと羊を屠るが如く、人之を恐れること甚し。
- 吉之助は柔道、撃剣等五ケ條の伝授取にて矯捷比なく、乾分摺沢染之助なるもの最も名あり。
- 吉之助は東磐井郡摺澤村(岩手県東磐井郡大東町)の崖下に住したるを以って崖吉(がけきち)と呼べり。
- 吉之助会て侠客及川静次と争闘の事人口に膾炙す。及川静次の項に、静次、吉之助と仙台に遭い、大喝一声互に刀を抜きて奮闘せしが清次遂に支へず、逃げて最上に走り鉄砲吉の家に匿る。吉之助追跡して天童に至り、裸體吉の家を訪ふ。鉄砲吉は弾丸を刀にて受け留め、打割に妙を得たるを以って此の稱あり。又裸體吉は争闘の時必ず裸體にて白刃を胃し、踊躍飛蝶の如く、能く之に抗するものなし。故に裸體吉と稱せらる二人共に一方の親分にて常に氷炭相容れず。鉄砲吉は清次を助け、裸體吉は吉之助に左祖し、日を期して決闘を約束し、各乾分を募りて某所に抵る。清次戦はざるに先づ遁る、鉄砲吉は誤り躓きて遂に裸體吉に首を斬られ互に死傷あり。
- 其の後数年、清次、吉之助と復び涌谷に曾ふ、清次再び遁れんとす。吉之助大に怒り奮躍して清次の背を斫ること一尺八寸、創浅くして奔り去れり。清次遂に之が為に死し、吉之助も漸く老い、幾くもなく落魄して死せり。或は吉之助を以って陸軍中将摺澤静夫の父となすは誤り、静夫の父は行安と云ひ、明治初年に歿し、墓は仙台北山町輪王寺にあり。
- 仙台人名大辞書に名あり。
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