成田甚蔵
成田甚蔵(なりたの じんぞう)は幕末の侠客、博徒。銚子一家。
略歴
- 木村勝五郎の子分で、親も博徒か。
- 飯岡助五郎の子分とも、飯岡一家四天王とも。
- 弘化4年7月4日、石渡戸孫治郎、堺屋与助、成田甚蔵の三人で笹川繁蔵を殺す。
- 子孫によると、甚蔵は銚子の縄張りを白土源助に譲り江戸本所相生町に移り、土木関係の請負をやったという。
- 新島に島流しになったことがあり、島の女とも関係ができて、子供が生まれ、その子孫は成田牲を名乗って米屋を開業しているという。
- 新島流人帳に安政三辰年三月流罪、慶応四辰年十月十五日御赦免、飯沼村無職甚蔵、卯四十一才とあるが。
- 文久2年7月歿か。行年不詳。墓所は千葉県銚子市妙見町の妙福寺。東京谷中にも墓がある。
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