工藤玄治
工藤玄治(くどう げんじ 1910年生)は福岡県行橋市の出身の日本の博徒。初代工藤組組長。初代工藤會会長。
略歴
- 16歳頃から西日本各地の賭博場に出入りする博徒だったという。恩義があった小倉の親分が引退すると、自身が単独で工藤組を名乗って渡世を開始した。
- 子分は後に二代目となる草野高明ただ1人で、工藤初代の姐さんと合わせて3人だけで四畳半一間からスタートしたとされ、終戦後の1946年頃に正式に工藤組を旗揚げした。
- 工藤組は小倉競輪場の警備を任されることとなった。当時は公営ギャンブルが再開して盛り上がって来た頃で、利用客が増大してトラブルも頻発していたため、ヤクザに警備を担わせることもあったという。小倉競輪場の警備を担ったことで、草野若頭の配下に若い衆が増え、工藤組は勢力を増大する。
- 1950年代には工藤初代は草野若頭を引き連れ、後に稲川会総裁となる稲川聖城が神奈川県で開いた大規模な賭場に顔を出すなど、他組織との交流も深めて行った。
- 名実ともに九州で大物級の博徒である。
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