大和田友蔵
大和田友蔵(おおわだの ともぞう、別名・見附友蔵、本名・磯部友蔵)は幕末の侠客、博徒、目明し。大和田一家親分。
略歴
- 静岡県磐田市見付の人。
- 遠江国大和田(現在の静岡県磐田市大原)の農民庄兵衛の次男と伝わる。
- 相撲取りのような体格で米二表を両手にぶら下げる程の力持ちでありながら、人間ができていた。
- 喧嘩を嫌い、土地の紛争をよく解決した。中泉代官所が近くにあったことから十手を預かり、清水次郎長も兄貴分として敬っていた。
- 山梨巳之助の子分。
- 遠江国見附宿に遊女屋を開いた。
- 文久3年5月、代官所から放浪中の黒駒勝蔵一味召捕りの命を受け、本人嫌々ながら、勝蔵と対峙せざるをえなくなる。そこで喧嘩出入りの得意な兄弟分清水次郎長に助を請い、清水次郎長と黒駒勝蔵とが矛を交えることになる。
- 場所は天竜川子安森。友蔵側には、一番子分の豪傑中泉太郎一家(中泉一家)に加え、清水から次郎長率いる25人が来た(この時、先頭に立っていたのが桶屋鬼吉)。また途中、駿遠三で随一の暴れ者と言われる伊豆石重?(石屋重吉か)も助についた。
- 兄弟分には清水次郎長、気子島ノ新吉らがいた。
- 森町の新屋ノ虎蔵墓を磯部友蔵が建之した。
- 明治15年10月3日没。行年55歳。墓所は静岡県磐田市天王の金剛寺。
検索用
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