益田組
四代目益田組(ますだぐみ)は神奈川県横浜市中区長者町1-1-1に本部を置く暴力団で、指定暴力団・六代目山口組の二次団体。
略歴
- 1962年、三代目山口組の若衆である益田佳於により、関東進出の先兵として横浜で結成され、地元組織と対立しながら地盤を構築した。
- 益田(啓)組が存在していた頃は益田(佳)組の表記であった。通称、横浜益田組。
- 益田佳於はその功績が認められ、三代目山口組で若頭補佐、組長代行補佐、四代目山口組では舎弟頭補佐を歴任。五代目山口組では顧問に就任した。
- 1997年7月、島田俊正が二代目を継承。
- 2009年3月12日、島田俊正が死去。。
- 2009年4月、山嵜昌之が三代目を継承し、六代目山口組直参に昇格。
- 2023年11月14日、山口組執行部会で若頭・水島秀章の四代目継承が承認され、六代目山口組若中に昇格。
山嵜昌之は六代目山口組若中のまま、四代目益田組総裁に就任。
- 同月26日、益田組本部にて、舎弟盃9名、親子盃13名の盃直しの儀式が執り行われた。
- 同年12月13日、二代目國領屋一家で開かれた山口組納会に先立ち、組長・司忍と新たに若中に昇格した水島秀章、四代目矢嶋組組長・武智浩三の親子盃の儀式が執り行われた。
- 2024年(令和6年)3月29日、山口組執行部会で水島秀章は組織委員に就任した。
- 同年9月4日、総裁・山嵜昌之が死去。61歳没。
- 同月11日、神奈川県横浜市郊外の斎場で山嵜昌之の通夜が営まれ、六代目山口組組長・司忍や若頭・髙山清司をはじめ、多くの直参が参列し、親戚団体の稲川会、松葉会、双愛会などが最高幹部を引き連れ、地元の的屋組織も弔問に訪れた。
益田組系譜
初 代 - 益田佳於(五代目山口組顧問)
二代目 - 島田俊正(六代目山口組若中)
三代目 - 山嵜昌之(六代目山口組若中)
四代目 - 水島秀章
四代目益田組組織図
組長
水島秀章(六代目山口組若中・組織委員)
最高顧問
市田眞也
執行部
副組長 - 武田 賢(武田組組長)
若 頭 - 吉田義政(二代目市田組組長)
舎弟頭 - 森広 瑛(森広組組長)
本部長 - 坂田宏樹(坂田組組長)
統括委員長 - 水島次郎(二代目水島組組長)
舎弟頭補佐 - 久保田哲也(二代目玉木組組長)
舎弟頭補佐 - 豊永昭弘(三代目島田組組長)
舎弟 山土井正光(二代目山土井組組長)
幹部
慶弔委員長 - 庄次 学(二代目信濃組本部長)
組長室室長 - 村山竜也
事務局長 - 宮之原猛雄(宮之原組組長)
特別相談役
信濃哲也(二代目信濃組組長)
中島藤義(中島興業組長)
雨宮利光(正光会会長)
若中
組長付 - 小林 清
早坂正信(二代目佳心会会長)
三輪 政
千藤 昇
山下純一(坂田組若頭)
和田秀樹(三代目島田組副組長)
齋藤宏樹(正光会本部長)
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