砂子川伊三郎
砂子川伊三郎(すなこがわ いさぶろう、通称・砂子川、本名・西村伊三郎(にしむら いさぶろう)、1871年 - 1920年)は明治の侠客、博徒、元力士。砂子川組初代。
略歴
- 明治4年11月3日、深草村西村伊兵衛とステの長男に生まれる。
- 京都の伏見を縄張りとした。
会津小鉄会初代・上坂仙吉の子分で、いろは組初代・長谷川伊三郎の子分であった。
- 元力士であり砂子川は使用していた四股名であった。
- 明治37年、軍夫長として日露戦争に参加。二〇三高地の戦いで率いる砂子川一家の五十数人が軍夫として働き、その功で陸軍の山形胸章を一家の代紋とすることを許される。
- 兄弟分には、大阪の松島小寅こと直嶋寅蔵、岸和田の糸ヶ浜こと伊東由松?、神戸の富永亀吉?らがいた。
- 九条寅一家山本丈之助の娘(妹の子)とみと結婚する。
- 九条寅こと木村寅吉墓に山本丈之助内砂子川伊三郎とある。
- 伏見区藤ノ森神社にある蒙古塚に寄附者砂子川こと西村伊三郎とある。
- 大正8年、内相床次竹二郎の勧めで、東西の博徒に呼びかけて大日本国粋会の結成に力を尽くした。大阪国粋会初代会長を務める。
- 大正9年1月15日、死去。50歳。墓所は京都府京都市伏見区深草宝塔寺山町の宝塔寺墓地。
- 砂子川二代目は稲荷ノ庄助こと山崎庄助が昭和18年に襲名する。
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