的屋
的屋(てきや)は、縁日や盛り場などの人通りの多いところで露店や興行を営む業者のこと。
祭りや市や縁日などが催される、境内・参道・門前町において屋台や露店で出店して食品や玩具などを売る小売商や、射幸心を伴う遊技として射的やくじ引などを提供する街商や、大道芸にて客寄せをし商品を売ったり、芸そのものを生業にする大道商人などが含まれる。「当たれば儲かる」ことから的矢に準えて言われるようになった言葉である。
的屋(まとや)、香具師(やし)、三寸(さんずん)とも呼ばれる。
概要
- 一般には馴染みが薄いと思われるが近年までは、よく使われた通り名であり、的屋(てきや)、香具師、三寸は同じ説明がなされている場合が多い。
- 職業神として元々は中華文明圏より伝わり、神道の神となった「神農の神」「神農黄帝」を祀り、独特の隠語を用いる者が多いため、狭い世界では神農とも呼ばれる。
- 「祭礼(祭り)や市や縁日などが催される、境内、参道や門前町」を庭場といい、その庭場において御利益品や縁起物を「売を打つ(販売する)」商売人でもある。
商売人といっても、祭礼時などは町鳶、町大工などの冠婚葬祭の互助活動と同じで、いわゆる寺社普請と呼ばれる相互扶助の一環でもあり、支払われるお金も代金ではなく祝儀不祝儀であるともいえる。
同時に寺社などとの取り交わしによって、縁起物を売る時は神仏の託宣を請けた者ともいえる。
- 的屋は「露天商や行商人」の一種であり、日本の伝統文化を地域と共有している存在である。
それゆえ、的屋は価格に見合った品質の商品を提供するというよりも、祭りの非日常(ハレ)を演出し、それを附加価値として商売にしている性格が強い。
- 古来から様々な生業において「組」と言う徒弟制度や雇用関係があり、的屋も噛み砕いて表現すれば、親分子分(親方子方・兄弟分・兄弟弟子)の関係を基盤とする、企業や互助団体を構成する人々でもある。
的屋は零細資本の小売商や、雇用されている下働きの人々の団体というイメージもあるが、これに該当しない地域に密着した形や、個人経営や兼業の的屋も多くある。
- 地勢的・歴史的・人的・資本的要素が複雑に絡み合って、発生し成り立ってきた背景から、単に的屋として一括りに定義することは難しいが、後述する猿楽、香具師、的屋、蓮の葉商い、鳶職ないし植木職の5つが源流とされる。
分類
時代の経過や売り物のによっても事細かに名称が存在するが、現在に受け継がれている代表的な種別を表すもの。
分類では他に口上により、口上のある啖呵売(たんかばい)と泣き売(なきばい)、口上のない飲食販売や技だけで客寄せする音無(おとなし)などがある。
転び(ころび)
- 地面に引いた茣蓙(ござ)などの上に直に商品を転ばして売っていたためにこう呼ばれている。新案品と呼ばれる目新しい商品を売る事でも知られている。
- その身軽さから、近年では庭場にとらわれず、小学校の下校時にあわせて、子供向けに売り場を開く事もあり、年代によっては、校門の近くで、消えるカラーインクセットやカラー砂絵セット(色別に着色した硅砂と木工用ボンド)、カラー油土の型枠セット(カタ屋)などを「ころび」から購入した経験を持つものも多い。
小店(こみせ)
- 三寸(後述)より売り台が小さく、ほとんど間口がない店であり、飴などに代表される「小間物」を扱う事からもこの様に呼ばれる。
元は市や縁日で蓮の葉商いや棒手振といわれる庶民の街商であったといわれる。
- 伝統的な的屋で地域密着であり地元の人々が行っていて既得権があるので、一般の的屋よりその地域においてはいろいろな条件面で優先される事が多い。
三寸(さんずん)
- 諸説あるが、売り台の高さが、一尺三寸(約40cm)になっているからといわれる。
その他にも渡世人として各地方を渡り歩く的屋家業の者が、顔役に世話になる時の「仁義を切る」ときの口上が、やくざと違い「軒先三寸借り受けまして、、、」と始まる事、舌先三寸(口車)で商売するや胸三寸(心意気)で商売するなどともいわれる。
- 縁日や市や祭りが催される場所を求め渡り歩き(近隣や遠方への旅回り)床店(「とこみせ」とは組立式の移動店舗)で商売をする、いわゆる露天商であり、個人や個人経営の組もあるが、神農商業協同組合の組合員も多い。
また旅回りの的屋の世話役や、庭場の場所決めの割り振りや場所代の取り決めや徴収をする顔役をさし、この顔役を中心に組織化したものが、神農商業協同組合などであり、相互扶助を目的とした露天商の連絡親睦団体として全国の各地域に存在する。
高物(たかもの)
- 高物は、巷の小規模な縁日などでは採算が取れない、大掛かりな仮設建築としての小屋を作るため、大きな市や祭礼でしか出店しない。
- この大きな市や祭礼を的屋の用語で「高市(たかいち)・高街(たかまち)」と呼び、そこへ出店する見世物小屋を高物と呼ぶようになった。
舞台や床などを備える場合もあり、天幕(的屋の用語で屋根やテントのこと)も規模の大きなものとなる見世物小屋で、軽業師、手品師などの見世物やお化け屋敷などの興行を運営する。
- 高物の多くは全国仮設興行組合に加盟していて、サーカスも元はこれらの興行師が海外から取り入れ、運営していたので加盟していた時代があった。代目や商売の内容は代わっているが、現在でも活動している興行を行っている企業や団体の中には、源流が高物である場合も多い。
- 的屋の世界では、この興行を行う者(興行師)を「引張り」という隠語で呼称する。
大占め(おおじめ)
- 大占めは、口上売りの一つで、的屋の用語で「ネタやゴト」という手品や曲芸、仕掛け人(さくら)などが伴う場合が殆どで、的屋の代表的なものとして呼称が残っている。
- 啖呵売(たんかばい)に含まれ、啖呵口上や一種の手品や奇術を使い客寄せをし、人がたくさん集まるので、目抜きから離れた広い場所で行う事が多く、大きな場所占めるのでこの様に呼ばれる。
「ガマの油売り」や「南京玉簾」や「バナナの叩き売り」などがこれに含まれる。
弾き(はじき)
- 射的やスマートボールやコリントゲームなどの賭け物を営むものをいい、玉などを弾くものが多いのでこのように呼ばれる。
木(ぼく)
- 葉木(はぼく)とも呼ばれ、文字通り植木を専門に売る的屋であり、元々は植木屋や現在でも植木屋と兼業する者も多い。
- とび職や植木屋などは現在でも既得権として、地元限定で酉の市や朝顔市や羽子板市などまたは、正月のお飾りや七夕の竹、笹などを販売している。
消え物(食品)や玩具
- バナナの叩き売り - 屋台等の板を派手に叩きながら独特の口上でバナナを売る。
- 綿菓子 - キザラ(グラニュー糖やザラメ)を高温で熱し、綿状にした菓子。
- リンゴ飴・あんず飴 - リンゴなどに飴を絡ませた物。
- 天津甘栗 - 伝統的に天津港が海外出荷拠点であったシナグリとキザラを混ぜたものを、小石に混ぜて煎ったもの。
天津産のシナグリを国内産で賄う事もある。このため、大きさが大きく異なる事がある。
- ベビーカステラ - 小さなカステラという意味だが、ホットケーキの丸めた物という感じ。
東京ケーキ、チンチン焼、ピンス焼の名で売られることもある。独特の食感で根強い人気がある。
- お面 - プラスチック製のアニメ・ゲーム・特撮等の人気キャラクターのものを販売する。
- カタ屋
- その他、籤や銀杏、椎の実などの元は時節や節気の縁起物である食品や祭礼用の品を売る屋台(古くは蓮の葉商いといった)などが縁日などで馴染み深い。
賭け物(遊技や籤)
- 金魚すくい - 小さな金魚を掬う。大抵は高級金魚養殖の選抜で間引かれた個体で、すぐに死んでしまうことも多いが、育て方が上手だと良い形に成長する。もともと金魚は縁起物として中国より伝わった。
- カタヌキ - 動物やキャラクターなどの絵柄がプリントされた、ハッカ味で板状の砂糖菓子を買い、絵柄通りにカタ抜きをしていく。
綺麗に絵柄をカタ抜きできればお金がもらえるというシステムの屋台。
複雑な絵柄であるほど金額が上がる。地域によっては「ナメ抜き」などと呼ばれる。
また近年では賞金給付が賭博の一種と捉えられ、また縁日を開く寺社の要望や自主規制により、難易度に応じた玩具の提供などに移行する業者が増えている。
- 射的 - コルクを弾にした空気銃で的や景品に当てる射的遊技。
最近ではあまり見られなくなったが、古くは弓矢や吹き矢を使うこともあった。
近年では商品を薄い紙で吊るし、水鉄砲を使いその紙紐を濡らして商品を落とすといった射的もある。
- 競技(レース)- 小動物や昆虫や淡水魚(うなぎやフナ)などを使い直線コースのレースを行い勝敗を予想させるものでレースよりも出走する生き物が珍しかったり面白いので客が集まった。
- くじ引き
遊技銃 - くじ(籤)を引き番号と同じ遊戯銃がもらえる。
最近では一回やって貰った物と、もう一回分の金額でワンランク上の物と変えてくれる屋台もある。
千本引き-紐の先に色々な景品が結び付けられており全ての紐を一ヶ所に束ねている為、何が当たるか判らないという工夫をした、紐を使ったくじ引き。
- 封筒引き - 封筒の中に商品の番号を書いた紙を入れておき客に引かせる単純なもの。
もとは、文鳥や十姉妹といった小鳥を使い手なずけて封筒を引かせる見世物でくじ引きだけではなく「おみくじ」が主だった。
鳥を使ったおみくじの見世物をする人は日本に数人しかいないといわれる。
台湾では現在でも夜市などで文鳥占いを一般的に見る事が出来るが、日本統治時代に伝わった物か元々台湾が起源なのかは定かでない。
- コリントゲーム - パチンコやスマートボールの原型となったもので自作のもので一等、二等、三等、スカなどのゴールを作り、玉の入った先で商品の当たり外れを楽しむといった遊戯で、現在では古くなったパチンコ台を利用していることが多い。
- 水盆引き - 丸い金属製の盥(たらい)に周囲に区切りを設けて区域別にはずれや当りなどの色分けをして、水を張り、ドジョウや源五郎(ゲンゴロウ)を中心に落として行う一種のくじ引き。
的屋と博徒
- 的屋は神農とも呼ばれ、また的屋を稼業人、博徒を渡世人とも呼び別ける。
「無宿渡世・渡世人」とは、本来は生業を持たない、流浪する博徒を指し、的屋について言われることはなかった。
生業とする縄張りも、的屋では「庭場」といい、博徒では「島」と表現する。
古くは江戸時代の寺社奉行の「庭場」と町奉行の「町場」と郊外や埋立地などの「野帳場」の管轄の違いから来ているともいわれ、現在も地図上でその生業とする地域分けも、江戸時代の名残が多く見られる。また上記概要にも記述があるが、個々の信仰は別として的屋は職業神として神農を祀り博徒は職業神として天照大神を祀っている。
- 組織として「組」を形成し互助活動を行っていた。
これは的屋特有のものではなく、大工、鳶、土方(つちかた)などの建設業団体や河岸、沖仲仕、舟方(ふなかた)などの港湾労働団体や籠屋、渡し、馬方(うまかた)などの運輸荷役団体と同じである。
しかし、互助活動に対しての謝礼の授受が今でいう民事介入と言う表現になりやざと同一視される由縁である。
- 現在の暴力団といわれる組織の中でも老舗といわれる組も、元をたどればこれらの生業を営んでいたものであった。
- 各地の神農会を運営していた「庭主」(世話役)も、円滑な運営をなしえない状態にあるものもある。
- 本来、行商人や旅人(たびにん)の場所の確保や世話をする世話人が集まって組織となり、神農会と呼ばれる庭主の組合が起こったが、現在では、そのほとんどが各地の暴力団の傘下組織となり、一部には肝心な世話することを怠って何もしない「庭主」や、競合する出店を脅迫し排除したり、挨拶に来るよう呼びつけたり、行商人などから着到名目で金品をたかるものも存在する。
- 現在では一部地域において県の公認を受けた協同組合として活動している組織もある。
この場合においても、実際には協同組合理事長を兼任している場合が多く、協同の組合というより親分の私物の組合といった趣きが強い。極端には理事長そのものが替え玉という場合も存在する。
- 暴力団排除の機運がたかまっているものの、暴力団関係者への名義貸しを黙認(推進)している団体もある。
- 指定暴力団・極東会が日本最大の的屋組織である。
他にも、飯島会、姉ヶ崎会などが的屋組織である。
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