発知代吉
発知代吉(ほっちの よきち、本名・松井正信)は幕末の侠客、博徒。大前田一家・池田一家?初代。
略歴
- 現在の群馬県沼田市発知の人。
- 文化8年(1811年)、上川田村新田の大竹宇衛門の次男に生まれる。
- 天保初年、下発知村の松井源兵衛?の娘げんの婿となる。
- 25歳の頃家出し、諸国の親分方を尋ね伊豆大場久八の家で3年間男を磨いていたが、故郷なつかしく帰郷の途中、大前田英五郎方へ足をとめ数ヶ月食客となり盃を貰って子分となり、この頃より沼田ノ代吉又は、発知ノ代吉といわれた。
- 子分には、蘭ノ芝徳、今井ノ定吉?などがいた。
- 大前田英五郎の墓には、大世話人カハタ大竹代吉と刻まれている。
- 明治15年1月13日歿。行年72歳 墓所は沼田市下発知の個人墓地。
墓は初め、迦葉隊道の昇り口にあったが、県道改修に伴って隊道は閉鎖され代吉の家も墓も移転されたようで、現在下発知の県道上発知材木町線沿いにある建設会社作業場の裏手にある。
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