片桐 俊
片桐 俊は日本のヤクザ。指定暴力団・住吉会・四代目中村会幹部。浅草発砲事件により五代目山口組系組幹部2名を射殺。無期懲役の判決を受け2021年現在も服役中。
当時の要因
- 1990年(平成2年)2月、二率会との八王子抗争に完全勝利した五代目山口組は、稲川会と山口組で結ばれた「多摩川を超えない」という不文律協定を無視し、都内で資金獲得を目指し進出していた。
その中で倉本組から分裂した貴広会は東京へ進出して暴れ、一時は五代目山口組の有力組織である宅見組、三代目山健組、後藤組と並ぶほどの勢力を誇った。貴広会の中では、末吉隆秀?率いる大末総業?や川口京孝?率いる川口総業?などが東京都内の有力組織であった。
縄張りを重んじる関東のヤクザ組織は、都内で暴れる山口組系組織を嫌っており、さらには、東京都内で五代目山口組系組織同士が、縄張り内で騒動を起こし、縄張りを死守する組織ともトラブルを起こすようになっていた。
浅草発砲事件
- 2004年(平成16年)10月24日未明、浅草ビューホテル近くの住吉会系中村会事務所に、突然、五代目山口組系貴広会組員50人が押しかけて来た。
居合わせた片桐俊幹部(当時37歳)が、「こんな大勢で来られて、この状態では話しも出来やしない、場所を移そう」と、貴広会側の責任者に伝え移動させた。
- 浅草ビューホテル一階の喫茶室に場所を変え、片桐俊幹部と加藤勉?幹部(当時39歳)が改めて話し合いに入った。店内の重々しい雰囲気から、危険を察知した店員が浅草署に通報した。
浅草署は私服警官を喫茶室に配置させ厳戒態勢に入った。
膠着状態が長く続いた為、署員に促され一度は話し合いの場を一度解散させたが、十数分後、外で外部の者と携帯電話でやりとりしていた片桐幹部ら二名は、再び同じ場所で話し合いを始めたところ、喫茶店内に待機していた数十人の貴広会組員に一気に囲まれ、怒号や罵声を浴びせられ始めた。
全く話しにもならないと判断した片桐俊は、テーブル向かいに座る貴広会責任者へ拳銃を発砲し、五代目山口組系貴広会関東責任者・中川総業?組長・中川謙一?と、川口総業?若頭・末吉民男?が死亡、川口総業?組長・川口京孝?ら2人が重軽傷を負った。
この事件により現行犯逮捕され、一切全ての責任を認め控訴審もせず、無期懲役の判決を受け長期服役となった。
抗争の終結
- 大勢で押しかけ威圧行為をし、その結果2名を射殺された五代目山口組系貴広会側には、慰謝料は「払われなかった」という。この事件により貴広会側の騒動も終息に向かったが、この事件とは別に、3年後の2007年2月に発生した「麻布抗争」で、三代目小林会会長秘書が五代目國粹会系組員に射殺される事件が発生。浅草発砲事件のこともあり、やはり逆に同じように三代目小林会側に慰謝料は払われなかったという。
- 浅草発砲事件による判決待ちで、身柄を東京拘置所に移された片桐俊幹部に対し、当時、関東二十日会加盟組織の代紋頭らの多くが面会に訪れたという。
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