太田守正
太田守正(おおたもりまさ 1937年10月24日生)は日本のヤクザ。神戸山口組舎弟頭補佐。太田興業組長。元六代目山口組若中。2019年12月引退。
略歴
山口組
- 1964年、三代目山口組・山健組傘下健竜会会長だった渡辺芳則の薦めで健竜会に加入、山口組入り。
- 1982年、渡辺芳則が二代目山健組組長を継承し、太田守正は二代目山健組若頭補佐に就任。
- 1989年05月、渡辺芳則が山口組五代目組長を襲名。
桑田兼吉が山健組三代目を継承し、太田守正は舎弟頭補佐、相談役、舎弟頭を歴任した。
- 2005年4月、太田守正は五代目山口組の若中として直参昇格。同時に太田興業を太田会に改称。
2008年9月、太田会から太田興業に名称を戻す。
2005年8月、六代目山口組体制で、引き続き六代目山口組若中となる。
2008年10月、六代目山口組舎弟・後藤忠政(後藤組組長)の処分問題で太田守正は後藤忠政を擁護し、雑貨や日用品のなどの購入を直参に強制する弘道会方式や執行部を批判。
若頭・高山清司に直接「我々は雑貨屋の親父ではない」と言い放ったという。
- 後藤忠政の処分や弘道会方式に不満を持っていた、井奥会会長・井奥文夫や二代目一心会会長・川﨑昌彦?など複数の直系組長と共に、執行部批判の会合に出席し謀反の会合と見做され、太田守正は六代目山口組から除籍された。
執行部批判の会合に出ていた他10数名の直系組長は絶縁・破門・除籍・謹慎などの処分が出ている。
- 太田守正は山口組からの除籍で引退。太田興業は解散した。
神戸山口組
- 2015年08月、六代目山口組が分裂し、山健組が中心となり神戸山口組を結成。
- 2015年12月、太田守正は太田興業を再結成し「四代目山健組」相談役で神戸山口組に加入。
- 2016年01月、神戸山口組舎弟として直参昇格。その後、舎弟頭補佐に就任。
- 2017年04月、神戸山口組が分裂し任侠山口組が結成。
- 2019年12月、2019年12月13日、太田守正が大阪府警に解散届と自身の引退届を提出。
それを受けて神戸山口組は2019年12月12日付で破門処分とし太田興業は解散。
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