信濃屋喜兵衛
信濃屋喜兵衛(しなのや きへえ、本名:吉田久蔵)は幕末の侠客、博徒。信濃屋一家初代。
略歴
- 幕末の頃、信濃生まれの喜兵衛なる者丹羽郡にきて博徒の親分となり一家を興し出生地の名を取りて信濃屋一家と称す。これを初代の親分となす。多数有力なる子分を養うと同時に東春日井郡において瀬戸一家と覇を争いし北熊一家の親分近藤實左衛門と兄弟分の縁を結びこれを相提携して大いに発展し広大なる費場所を有せり。
- 信濃屋喜兵衛こと吉田久蔵は、享和2年(1802年)生まれ。
- 墓左側面に発起人近藤實左衛門、信濃屋内輪中明治31年旧7月22日建之とある。お菩提寺の過去帳には9月14日(旧7月21日)とある。
- 兄弟分には岐阜の水野弥太郎、関の遠藤小左衛門、長野の間之川又五郎らがいた。
- 美濃洲原神社にある奉納額に尾州前野・信濃屋喜兵衛とある。
- 明治14年旧7月22日歿。行年79歳。墓所は愛知県江南市前野の共同墓地。
検索:信濃屋ノ喜兵衛
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