九州誠道会
九州誠道会(きゅうしゅうせいどうかい)は福岡県大牟田市上官町2-4-2村上ビルに本部を置いていた指定暴力団。現・浪川会。
来歴
村上一家
- 村上一家は、かつて大牟田市に本拠を置く独立組織であった。
- 二代目の頃、1981年から1983年にかけて同じく大牟田市に本拠を置く馬場一家と数次にわたる抗争事件を起こし、その過程で久留米・道仁会に応戦を求め、道仁会とともに馬場一家を解散に追い込んだ。
- 1994年1月、二代目村上一家総長・小宮生計が大牟田市岩本の自宅で射殺された。
この抗争終結後、村上一家は道仁会の傘下となり、村上一家は道仁会傘下において最大組織となった。
道仁会
九州誠道会発足から解散迄
- 2006年6月11日、道仁会から脱退した三代目村上一家、永石組、高柳組、鶴丸組が新団体・九州誠道会を設立し、会長に村神長二郎が就任し、九州誠道会の本部事務所を村上一家事務所に置いた。
これにより、道仁会と九州誠道会は激しい抗争状態に突入する。
- 2007年6月13日、佐賀県佐賀市の福所江川の船着き場で、九州誠道会・鶴丸組組長・鶴丸善治の刺殺体が発見された。
- 同年6月19日、熊本県熊本市の自宅で、九州誠道会系組員・入江秀則が射殺された。
- 同年8月18日、福岡県福岡市中央区黒門の路上で、九州誠道会系組員が道仁会三代目会長・大中義久を射殺した。
- 同年9月14日、服役中の道仁会理事長・小林哲治が四代目を継承。
- 同年11月12日、福岡県大牟田市の兼行病院玄関前で、九州誠道会系組員・古賀茂喜が射殺された。
- 同年11月27日、福岡県久留米市の駐車場で、道仁会系組員・松尾義和と藤村要が刺殺された。
- 2008年2月28日、福岡県公安委員会は、九州誠道会を暴対法に基づく指定暴力団に指定した。
- 同年、九州誠道会会長・村神長二郎が引退。
- 同年3月20日、九州誠道会理事長・四代目村上一家総長・浪川政浩が二代目会長を襲名した。
- 2009年3月28日、佐賀県伊万里市の道路上で、九州誠道会系組員・前田賀壽久が刺殺された。
- 同年、九州誠道会が道仁会との抗争での死者を弔うという名目の忠魂碑を建立。
碑には九州誠道会側と道仁会側の死者の名前も刻んでいたが、2011年1月までに撤去された。撤去した人物や撤去先は不明(撤去先は後に二代目城後組内と判明)。
- 2011年4月5日、佐賀県伊万里市の山元記念病院の駐車場で、九州誠道会系組員・浜ノ上勝則が道仁会系組員・岩崎和幸により射殺された。
- 同年9月15日、佐賀県佐賀市の駐車場で、九州誠道会系組員・福島弘海が射殺された。
- 同年4月21日、佐賀県小城市三日月町で、九州誠道会系組員・南里祐次が刺殺された。
- 同年12月27日、福岡県公安委員会により、道仁会と共に特定抗争指定暴力団に指定される。
- 2013年6月11日、九州誠道会は福岡県警久留米署に解散届を提出し、道仁会は抗争終結の宣誓書を提出した。
解散後
系譜
初 代 - 村神長二郎(道仁会副理事長)
二代目 - 浪川政浩
九州誠道会二代目組織図
会 長 - 浪川政浩
会長代行 - 永石秀三(永石組組長)
副会長 - 上村隆幸
最高相談役 - 坂口 功?
理事長 - 高柳弘之?(高柳組組長)
本部長 - 梅木一馬(五代目村上一家総長)
幹事長 - 佐村政実
会長補佐 - 藤村英市(藤村組組長)
副理事長 - 宮本 勝(浪勝総業組長)
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