國粹会
五代目國粹会(こくすいかい)は東京都台東区千束4-3-1桜栄に本部を置く暴力団で、指定暴力団・六代目山口組の二次団体。
主な施設
概要
略歴
大日本国粋会
- 1919年10月10日、原敬内閣の内務大臣・床次竹二郎(立憲政友会)は、全国的な右翼団体を創設するべく、政友会の米田穣代議士をまとめ役として博徒等関西壮士の大親分36人を東京に呼び寄せて会合を開いた。
- 同年11月、西村伊三郎の提唱により、関東側は河合組・河合徳三郎、上州家・梅津勘兵衛、住吉一家・倉持直吉、生井一家・青山広吉、圡支田一家・篠信太郎、中安信三郎が中心となり、床次竹二郎内務大臣を世話役に、在野右翼の重鎮と見なされていた頭山満を顧問に迎えて大日本国粋会が結成された。
- 創立された大日本国粋会は、博徒や土建業者系の壮士たちによる全国的な右翼団体であり、超党派的純国家主義思想団体として、皇室中心主義、アジア主義等や伝統の任侠道を根本信条として行動することを原則とした。総裁には伯爵大木遠吉、会長は村野常右衛門、理事長は中安信三郎が務め、会員数60万と称した。
- 1921年、河合徳三郎は大日本国粋会を脱会し、立憲民政党の後ろ盾のもとに、大和民労会を結成した。
大和民労会の結成式は、浅草・伝法院で行われ、約5000人が集まった。
大和民労会の中心メンバーは、土建業系博徒の関根組組長・関根賢、高橋組組長・高橋金次郎、後の小千鳥組組長・城迫正一であった。それぞれが、浅草、吉原、向島、下谷を地盤としていた。
- 1922年、大日本国粋会は関東勢と関西勢に分裂した。
同年8月、関東勢が大日本国粋会関東本部を設立した。
- 1922年暮れ頃、大日本国粋会・田甫一家・青沼辰三郎が浅草区千束町で年忘れの賭場を開帳。大和民労会・高橋組の木村は、青沼辰三郎の賭場に乗り込み、青沼を罵倒した。
青沼辰三郎たちは、木村を賭場の外に連れ出し暴行を加えた。これを切っ掛けに大和民労会と大日本国粋会の抗争事件が勃発。
- 1925年、大和民労会と大日本国粋会は、抗争事件を起こし、両者合わせて160人が検挙された。
- 1926年5月12日、金沢市における本部支部長会議の挨拶で村野会長が鶴見騒擾事件に触れ、「任侠義気の精神によるもので、善導すれば現代に応用でき、国家が元気になる」とし、「むしろあんな党派の出現を防止するために起こっているようなもの」と大日本国粋会がヨーロッパのファシズムに反対するものであることを訴えた。
- 1927年10月、東京市麹町区(現在の千代田区)下二番町へと総本部を移設。
- 1929年、鈴木喜三郎が総裁となり、野村会長の没後は高橋光威が会長に推されたが、中安理事長が会長となった。
関東大震災時には総本部を京都に移し、関東本部と対立する内紛となった。
- 1930年、大日本国粋会関東本部は関東國粋会と改称、また友好団体を集め、大日本國粋聯合会を結成した。一方、関西勢は分裂後大日本国粋会総本部と名乗った。
- 1945年、太平洋戦争終戦後にGHQにより他の右翼団体と共に解散させられた。
日本国粋会初代
日本国粋会二代目
- 1960年代、旧日本国粋会の各団体は新たな連合組織として、国粋睦を結成した。東京斉藤一家六代目・山田政雄が会長に就いた。
- 1969年4月、国粋睦から有力組織の小金井一家、中杉一家、辺見一家が脱退し、二率会を結成した。
- 同年、国粋睦は組織名を日本国粋会に戻した。引き続き山田政雄が会長に就いた。
日本国粋会三代目
- 1978年、吉田川一家三代目総長・木村清吉が三代目会長に就いた。
國粹会四代目
- 1991年、金町一家七代目総長・工藤和義が四代目会長を継承、日本国粋会を國粹会に改称した。
- 1993年3月、國粹会は稲川会と親戚関係を結んだ。
- 1994年4月、國粹会は住吉会と親戚関係を結んだ。
- 2000年5月3日、國粹会は暴対法に基づく指定暴力団に指定された。
- 2001年、工藤和義は組織形態をこれまでの連合から、会長と各団体の長との間に盃を交わし、直参制に変更する改革を行おうとした。
これに対し、生井一家、佃繁会、落合一家が反発し國粹会を脱退。抗争状態に入った。
- 2003年、脱退した3組織トップの引退と引きかえに、3組織は國粹会に復帰、抗争は終結した。
- 2005年、工藤和義が六代目山口組舎弟となり、最高顧問として六代目山口組に加入し四代目國粹会となった。「日本のヤクザ地図を塗り替える」とまで言われた出来事であった。
- 同年10月、指定暴力団の指定を取り消された。
- 2007年2月、住吉会・住吉一家小林会と抗争。
- 同年同月、工藤和義が自殺。
五代目國粹会
系譜
理事長 - 青沼辰三郎(田甫一家五代目総長)
理事長 - 荻島峯五郎(前川一家六代目総長)
理事長 - 佐藤芳行(金町一家五代目総長)
初 代 - 森田政治(生井一家八代目総長)
二代目 - 山田政雄(斉藤一家六代目総長)
三代目 - 木村清吉(吉田川一家三代目総長)
四代目 - 工藤和義(六代目山口組最高顧問・金町一家七代目総長)
五代目 - 藤井英治(六代目山口組若頭補佐・関東ブロック長・六代目信州斉藤一家総長)
五代目國粹会組織図
会長
藤井英治(六代目山口組若頭補佐・関東ブロック長)
執行部
若 頭 - 橋本龍雄
本部長 - 斉藤光明(十五代目寺谷一家総長)
舎弟頭 - 杉本 潔
統括委員長 - 久保田光鶴(九代目信州斉藤一家総長)
組織委員長 - 浦田雄一(八代目古河生井一家総長)
若頭補佐 - 安藤和夫(十一代目前川一家総長)
若頭補佐 - 関 忠(二代目破傘一家総長)
若頭補佐 - 奥脇和裕(八代目吉田川一家総長)
若頭補佐 - 百戸 勉(初代幸島一家総長)
若頭補佐 - 山本英之(初代山英一家総長)
若頭補佐 - 久重雄煇(十六代目東京生井一家総長)
事務局長 - 立花良治(九代目田甫一家総長)
幹部
田代芳久(八代目古河生井一家若頭・四代目橋本組組長)
島 信一郎(九代目信州斉藤一家本部長・島興業組長)
松田成志(十一代目前川一家若頭・二代目池之端貸元・松田組組長)
古屋 真(十五代目寺谷一家若頭・古屋組組長)
小根澤拓也(九代目信州斉藤一家若頭・五代目藤井組組長)
木村昌倫(十一代目前川一家舎弟頭・六代目神明貸元・三代目杉本組組長)
黒岩辰夫(九代目信州斉藤一家舎弟頭・藤竜会会長)
八木健次(二代目破傘一家舎弟頭)
星原光秀(九代目田甫一家若頭)
舎弟
能戸典明(十一代目前川一家最高顧問・初代御徒町貸元・能戸組組長)
関口正信(八代目古河生井一家最高顧問・関口総業組長)
慶弔風紀委員長
慶弔委員長 - 宮崎隆至(十五代目寺谷一家舎弟頭・武州総業組長)
風紀委員長 - 浅井裕一(十一代目前川一家本部長)
若中
会長付 春山康治(十六代目東京生井一家舎弟頭・洲崎責任者・春山興業組長)
会長付 真田愼平(九代目信州斉藤一家若頭補佐・真田組組長)
会長付 吉澤仁史(九代目信州斉藤一家副本部長・仁誠会会長)
松沼秀輝(八代目古河生井一家本部長・二代目一龍会会長)
宮内 剛(十五代目寺谷一家本部長・光剛組組長)
鈴木博行(八代目吉田川一家若頭補佐)
新見健作(初代山英一家)
水上健二(八代目古河生井一家舎弟頭・栗橋興業組長)
斉藤伸一(八代目古河生井一家統括委員長・杉戸総業組長)
大塚達也(十五代目寺谷一家組織委員長・大塚組組長)
能戸雄太(十一代目前川一家若頭補佐・能戸組若頭)
滝 誠(九代目信州斉藤一家相談役・滝総業組長)
木村真英(初代幸島一家若頭・鬼心総業組長)
関根 透(二代目破傘一家若頭)
根本憲一(十六代目東京生井一家相談役・新橋責任者・二代目大橋組組長)
中山竜一(八代目古河生井一家総長室室長・二代目浦田組組長)
金子孝明(十五代目寺谷一家事務局長・三代目斉藤組組長)
小泉義成(八代目古河生井一家組織委員長)
星野秀樹(八代目古河生井一家渉外委員長)
高木 健(十六代目東京生井一家若頭・四谷責任者・龍生総業組長)
永藤将旗(二代目破傘一家統括委員長)
秋山和磨(二代目破傘一家渉外委員長)
石川拓斗(九代目信州斉藤一家若頭補佐・石川組組長)
相川貴志(十五代目寺谷一家総長秘書室長・古屋組若頭・相川興業組長)
渡辺昭二
細野浩治
武市瑞穂
小山勇気
蔵田重雄
松村勇児
冨山和雄
本部付 - 我妻宏之(二代目破傘一家本部長)
本部付 - 松本博美(十六代目東京生井一家統括委員長・有楽町責任者・松本組組長)
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