山本國春
山本國春(やまもと くにはる 1949年-2021年4月10日)は日本のヤクザ。元指定暴力団・六代目山口組・四代目山健組若頭、初代健國会会長。
略歴
- 1980年、中京戦争の発端となった瀬戸市の八代目瀬戸一家・侠神会との抗争で、山本國春は長期服役。
- 初代健竜会に加入。
- 1982年、二代目山健組若中に就任。
- 1989年、三代目山健組渉外委員に就任。ならびに健國会の前身となる兼國会の会長に就任。
- 1998年、長期の服役を終え出所。
- 2005年、四代目山健組渉外委員長に就任し、兼國会を健國会に改称。
- 四代目山健組若頭の妹尾英幸が引退すると、後任の若頭に就任。
- 2007年5月、神戸市で四代目山健組・多三郎一家総長・後藤一男が刺殺された事件で指示を出したとされる。
- 2010年、後藤一男刺殺事件の指示役として組織犯罪処罰法違反(組織的殺人)容疑で逮捕される。
- 2012年2月、一審の大阪地裁で、無罪の判決。
- 2014年1月、二審の大阪高裁では懲役20年の逆転有罪判決を受けた。
- 同年6月、山本國春は引退し、健國会を解散した。
健國会若頭・袖岡勝二が健國会の地盤を引き継ぎ、「須磨連合」を結成した。
- 2021年4月10日、持病の悪化で死去。享年71歳。
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