須永武兵衛
須永武兵衛(すながの たけべえ、本名・金子武兵衛)は幕末の侠客、博徒。須永一家初代。
略歴
- 現在の群馬県桐生市須永の人。
- 大間々の町田八十郎の父町田半五郎の子分であったが、半五郎の妾との馴れあいが判り、半五郎が短刀の先に魚をつけて武兵衛の前につき出したところ、臆する様子もなく食ったので、その度胸にほれ妾とも命は助けられたが、武兵衛は長い草鞋をはく。
- 東海道を上方方面まで足をのばし、幾度か相手を斬ったので上州須永武兵衛といえば上方まで知られた渡世人となったが、ある博奕場で出入の最中お上に捕まり島送りとなる。
- 三宅島流人帳に文化2年11月4日三笠博奕之御科にて遠島文政9年11月御赦免之御奉書到来50人之内無宿禅宗武兵衛37歳と記録ある。
- 島の牢役人の娘と一緒になり帳付けをしていたといわれ、島で子供もでき赦免になって妻子をつれて故郷の須永へ帰り、須永一家を興す。
- 天保11年5月1日歿。行年71歳。
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