遠藤幸雄
遠藤 幸雄(えんどう ゆきお、1930年- )は日本のヤクザ。広域暴力団・住吉連合会常任顧問、二代目光京一家総長。
略歴
- 弁護士を志し、旧制中学から明治大学法学部へ進学するも、事件の首謀者となり懲役5年の実刑判決を受ける。
- 出所後、大町利市の渡世入りの勧誘を断り、愚連隊時代からの知人「東毛の鬼」・鴇崎(ときざき)文造の元へと行く。
- 大町は、自分の舎弟でもあった鴇崎を、江戸時代に大前田英五郎の舎弟分であり十手持ちでもあった京屋銀造を祖とし、岡田喜久治、堀江寅松と継承されて来たが衰退していた「京屋一家」の四代目に据えた。
これによって、遠藤幸雄は本格的な渡世入りとなり「京屋一家」の若い衆となり代貸となった。
- 鴇崎が京屋一家の四代目を襲名してから2年後、突如引退。
- 1957年、遠藤は京屋一家五代目を襲名。
- 1972年、大町の提案により「光具家一家」と「京屋一家」が合併し佐野市に本拠を置く「光京一家」が誕生、初代は大町が就任した。
- 1984年、大町が亡くなると遠藤が二代目を襲名、また親和会の常任顧問に就任した。
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