荊原和太郎
荊原 和太郎(ばらはらのわたろう、本名・谷部和太郎)は幕末から明治の侠客、博徒。寺谷一家四代目。
略歴
- 武蔵国足立郡荊原の人。
- 天保5年(1834年)5月1日、久下長八こと谷部太右衛門の長男に生まれる。
- 前砂勇吉跡目。
- 寺谷一家供養碑に施主谷部和太郎事改名谷部太右衛門建立、小山市間之川一家佐山森之助墓に世話人武州下久下・谷部太右衛門、前砂勇吉墓に荊原・和太郎とある。
- 静岡安東一家小野田与市の香典帳に金弐拾円武州寺谷一家和太郎若者中とある。
- 明治30年11月17日歿。行年63歳。墓所は埼玉県北足立郡吹上町荊原の谷部家墓地。
- 跡目は小敷田久五郎が継ぐ。
- 平成3年18月、寺谷一家十一代目総長・佐藤正剛が、寺谷一家三侠碑と和太郎墓を川里村屈巣の円通寺に移し新たに「任侠之碑」を建之して供養した。
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