聖護院丑松
聖護院丑松(しょうごいんの うしまつ、通称・聖護院丑(しょうごいんの うし)、本名・大西丑松)は明治の侠客、博徒、元力士。会津小鉄一家。
略歴
- 洛東岡崎村の農家大西源三郎の長男に生まれる。
- 相撲取りで四股名を浜常といった。
- いろは幸太郎の子分となり、通称聖護院ノ丑と呼ばれていた。
- 愛人が大津にいたので、時々大津の宿に行った。
- 大津の常世川伊三郎の子分達に女と就寝中を襲われ殺される。会津小鉄の子分千田川と、いろは幸太郎が、山中超えて堅田より船に乗り、大津世田に着き夜明け期し殴り込みを掛け、常世川の乾分・下駄寅を殺し大喧嘩になる処であったが、人を立てて和解し、いろは幸太郎五分五厘、常世川四分五厘の盃を交わし兄弟分となる。
- 明治14年8月16日歿。行年34歳。
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