玉屋佐十郎
玉屋佐十郎(たまや さじゅうろう、本名・合川佐十郎、相川佐十郎)は幕末の侠客、博徒。大場久八の二代目。
略歴
- 現在の三島広小路(旧・大中島)に飯盛旅籠「玉屋」を開いていた。
- 佐十郎は元々甲州の生まれであったため、黒駒勝蔵と親しかった。しかしそのおかげで、明治4年には伊豆の温泉場に隠れていた勝蔵を甲府捕忘方の命により召捕らえなければならない、という辛い役どころを押し付けられることになった。
旧知の佐十郎の来訪には勝蔵も観念し、ついに縄を受け甲府に連れられて首を斬られた。
- 明治32年、死去。三島を埋め尽くすほどの弔問客が訪れた。墓所は常林寺。
- 三代目は渡辺精次郎が継いだ。
- この項目は書きかけ項目です。
- 役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
※誹謗中傷や悪戯、あらし行為、悪質な売名行為、他サイトの宣伝などは厳禁とします。
- 編集される際は「テキスト整形のルール(詳細版)」をご覧下さい。
- 編集を依頼される場合、他のユーザーに編集協力を依頼する時は下記の【このページの編集依頼】または【加筆・編集依頼】から編集対象のページタイトル・編集内容をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。
運営宛に編集依頼する時は【メールで編集依頼】から依頼して下さい。
【このページの編集依頼】