熊谷正敏
熊谷正敏(くまがい まさとし、1961年- )は日本のヤクザ。指定暴力団・稲川会渉外委員長・東京ブロック統括長、十一代目碑文谷一家総長。初代熊谷組組長。
略歴
- 1961年、宮城県仙台市生まれ。父親の転勤で小学三年生の時に東京都大田区に引っ越した。当時の将来の夢は警察官であったという。
- 碑文谷一家・西山組内に熊谷組を結成。目の前に出された大金にも一切動じない姿勢を、稲川会三代目会長の稲川裕紘の目に留まり、稲川会直参に昇格。後に会長付、本部長補佐を歴任。
- 2006年、臨終期が迫る三代目会長稲川裕紘の遺言に忠実に従い、稲川会四代目に実子を、会長の遺言に筋を通し数十人の稲川会三代目最高幹部が担いだ結果、分裂騒動に陥り、自らの意思により代表理事にまで降格。
- 2010年、稲川会五代目会長である清田次郎が承認し、稲川会直参に昇格。
- 2016年、碑文谷一家十一代目を継承。
- 2018年、稲川会理事長補佐に就任。
- 2020年、稲川会渉外委員長・東京中央ブロック統括長に就任。
- 2021年9月6日、七代目三本杉一家総長の國近哲也が、東京ブロック統括長として稲川会本部から毎月支給される経費の使い込みを、要職を引続いた熊谷が発見し内堀和也理事長に報告した。その後稲川会本部から許可を得て追及したが、國近は関東の別組織から億単位の借金を自供し、引退させ、國近の組織は碑文谷一家預かりになった。
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