浅草屋宇一郎
浅草屋宇一郎(あさくさやの ういちろう)は幕末の侠客、博徒、目明し。浅草屋一家初代。
略歴
- 現在の福島県福島市の人。
- 福島の目明しとして名を売り、明治時代に入ってからも消防組織の中心となって活躍した。
- 明治25年7月28日没。行年75歳。墓所は福島県福島市船場町の長楽寺。
宮城県大河原町の最勝院にも墓がある。
- 子孫は東京浅草の天ぷら屋天金。
- 長楽寺に宇一郎の肖像画がある。
- 養子の井上康五郎が跡目を継ぐ。康五郎は北町に料理屋各自軒、上浜町に尾上座という劇場を開いていた。自由民権運動の河野広中と交際。各自軒を同志の会合所にし、尾上座を政治演説会場に使っていたため、福島事件(明治15年)の時、広中とともに康五郎も捕まっている。広中らは浅草屋や近くの無名館も同志の連絡場所に使い、北町一帯は福島の自由民権運動の中心地だった。
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