水野弥三郎

水野弥三郎(みずの やさぶろう、通称:岐阜弥太郎(ぎふの やたろう)、1805 - )は幕末の侠客、博徒。

略歴

弥三郎の生家水野家は代々医業を営んでおり、岐阜にありながらも京都西本願寺の典医を務めていた。
医家に生まれたが、医業を嫌って武を好み、鈴木長三郎という一心流の剣客に入門してその腕を磨いた。
その為に家を勘当され、博徒の道に進んだ。
武儀郡の関小左衛門、安八郡の神戸政五郎と肩を並べ「美濃三人衆」と呼ばれる大親分となった。



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