小川幸八
小川幸八(おがわの こうはち、本名・小山幸八)は幕末の侠客、博徒。小川一家祖。
略歴
- 武蔵国の人。
- 享和3年(1803年)頃の生まれ。
- 小次郎伝では小金井小次郎の敵役として描かれる。
- 兄弟分に上鈴木平五郎。
- 天保11年、二つ塚の喧嘩で小次郎と争ってお上に召捕られたというが、実際は天保15年、所沢無宿鉄五郎、田無無宿岩五郎、久米川無宿増五郎らと出入りを起こし、その科で捕まり八丈島に流された。
万延元年10月11日、流刑人70人余りを率いて暴動を起こし、名主平吉を殺すが、翌日鎮圧され自ら喉を突き自殺した。
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