大宮清太郎
大宮清太郎(おおみやの せいたろう、本名・伊藤清太郎)は明治の侠客、博徒。清水一家大宮二代目。
略歴
- 静岡県富士宮市の人。
- 遠州の生まれ。
- 初めは気子島新吉の子分であったが、大宮平五郎こと川村平五郎の所に草鞋を脱ぎその跡目となる。
- 大悟庵の過去帳に清水次郎長子分の由、時の施主は中西郷作が務める。と記されている。
- 清水次郎長墓に大宮・伊藤清太郎、川村平五郎墓に施主伊藤清太郎、中泉太平碑に伊藤清太郎とある。
- 清水次郎長香典帳に線香・大宮町・伊藤清太郎、年忌帳に金弐拾円大宮河村平五郎、原町・長沢伊三郎?、今泉・森藤三郎、大宮・伊藤清太郎、山本為五郎?とある。
- 高田屋亀吉香典帳に金五円大宮・伊藤清太郎、上ヶ土与市香典帳に金弐円大宮町・伊藤清太郎とある。
- 岩淵の田辺高之助とは清太郎六分、高之助四分の兄弟分。
- 阿幸地一家二代目岩見長太郎?とは五分の兄弟分。
- 子分には安部直次郎、渡辺藤作、斉藤兼吉、新田信次、松野ノ由などがいた。
- 昭和10年1月8日歿。行年71歳。墓所は静岡県富士宮市光町の岳松寺墓地。
- 墓は大正十五年十月物井喜市、小野田彌三郎建之。
- 跡目は中西郷作。
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