大口惣八
大口惣八(おおぐち そうはち)は幕末の侠客、博徒。住吉一家。
略歴
- 通称は「旦那」。
- 安政5年(1858年)12月21日、名古屋の豪農の伜として生まれる。
- 住吉一家の初代から四代目(初代を堀内とする系譜)まで相談役として支えた。
- 渡世人として一生「親分なしの子分なしの、一本どっこの白ムク鉄火を貫いた」とされる。
それを一生口癖にして、意地を貫き、住吉三代目をと相談を受けたが継がず、伊東松五郎に三代目を推薦した。
- 鹿児島藩士の娘である荏田村とくと結婚し、二人の間に生まれた一人娘「とら」は倉持直吉と結婚した。
- 若い頃、清水次郎長家へ仁義をきっていったとき偶然にも清水大政がでており、素気なくされたことがあり、大口家では生涯、次郎長とその一門を相容れない向きがあったという。
- 前科の二十数犯のほとんどが博奕で、入獄十七回、出所して放免祝いの博奕に出て、紋付袴のまま再び留置所入りしたことがあったという。
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