中野義徳
中野義徳(なかの よしのり、本名・中野八百之介義徳)は明治の侠客、博徒。鯉淵一家七代目。
略歴
- 茨城県東茨城郡鯉淵の人。
- 安政6年(1859年)11月14日、鯉淵与重こと中野義直の長男に生まれる。中野家系図には5月14日生まれとある。
- 中野義直の磔刑によって途絶えた鯉淵一家を再興した。
- 大隈重信や板垣退助などの中央政界とも交流を持つなど地元の発展に尽くし、博徒社会に隠然たる影響力を示した。
- 鯉淵協和会会長。
- 村会議員または学務委員を務めた。
- 明治38年、村長に選抜されるが病気のため辞退した。
- 明治44年4月4日没。行年52歳。墓所は茨城県東茨城郡内原町鯉淵の根小屋観音。
墓前面に中野八百之介君墓、裏面に大正八年四月四日九周忌辰乾児中建之とある。
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