三吉一家
三吉一家(さんきちいっか)は愛知県に本拠をおいた暴力団。導友会の傘下であり、導友会の会長は三吉一家の総長を兼ねていたが現在は継承されていない。
略歴
- 明治初期、香川県生まれの宮三吉(みやのさんきち)こと山田三吉が熱田(現在の名古屋市熱田区付近)に三吉一家を興し熱田一帯を費場所(縄張り)とする。熱田は熱田神宮があることから宮と呼ばれていた。
- 昭和36、37年頃、三吉一家六代目松波鉦之助が松波会結成。地元の愚連隊を糾合し勢力を広げる。
- 昭和40年、第一次頂上作戦により松波会解散。
- 昭和43年、三吉一家七代目・古川竹男が、旧松波会を前身とする導友会を結成。
- 昭和59年9月3日、古川竹男死亡。
- 昭和60年5月、石塚照雄が導友会二代目及び三吉一家八代目を継承。この頃傘下に熊屋本家(熊屋一家)、薬屋連合会(薬屋一家)、中京神志会、大沢本家、名古屋長者町一家の的屋を抱える。
- 昭和60年11月、導友会・浜健組により、導友会理事長・光岡官成が射殺される。内部抗争へ発展。
- 昭和61年、中京五社会へ参画。
- 平成3年、瀬戸一家、平井一家が山口組へ加入。中京五社会は瓦解。
系譜
初 代 - 宮 三吉(本名:山田三吉)
二代目 - 多田鍵次郎
三代目 - 余郷良吉
四代目 - 久田鍵次郎
五代目 - 服部源助
六代目 - 松波鉦之助
七代目 - 古川竹男
八代目 - 石塚照雄
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