豪友会
六代目豪友会(ごうゆうかい)は高知県高知市廿代町14-29に本部を置く暴力団で、指定暴力団・六代目山口組の二次団体。
略歴
- 1952年(昭和27年)、中山勝正が16歳の頃、中井組・中井啓一組長の若衆となり、自ら「自動車愛好会」を結成した。
それから数年後、加入する若い衆が100名を超え、「自動車愛好会」を豪友会へ改称した。
- 1957年、中山勝正は三代目山口組・中井組の若頭に就任。
- 1970年(昭和45年)4月未明、高知市に広島県尾道市の初代俠道会が高知支部を設立し、豪友会とのトラブルが頻発し始めた。
- 1972年1月未明、初代俠道会系高知支部と三代目山口組・中井組系豪友会の間で、覚醒剤密売のトラブルをきっかけに抗争が勃発。
豪友会が中心となりダイナマイトによる爆破事件や発砲事件が頻発し本格的な抗争に突入したが、同年5月に手打ちとなった。
- 同年、中山勝正は、三代目山口組執行部や、多数の山口組直参からの推薦もあり、中井組若頭から三代目山口組若中に昇格。
- 1977年12月、三代目山口組若頭補佐に就任。
- 中山勝正は四代目山口組若頭に就任。かつての親分である中井組組長・中井啓一が一和会に加入した為、完全分裂となった。
- 1985年1月26日、四代目山口組組長を認めず、脱退した一和会系暴力団幹部の暗殺隊により、大阪府吹田市のマンション「GSハイム第二江坂」1階エレベーター前で、四代目山口組組長・竹中正久、若頭で初代豪友会会長の中山勝正、警護役の南組組長・南力が一斉に銃撃され、頭部と胸を撃たれた南力はその場で即死、顔と頭部を撃たれた若頭の中山勝正は4時間後に死亡、腹部に銃弾3発を撃たれた四代目組長の竹中正久は、大阪警察病院で翌27日に死亡。一和会は、これで四代目山口組からの激しい報復を招くことになり、高知県内では、豪友会が一和会系中井組に対し、壮絶な報復の第一撃が始まった。その後、香川や四国全体を照準に定めた。
- 2014年、加藤徹次が豪友会の六代目を継承し、六代目山口組若中に昇格。
- 2018年、加藤徹次が六代目山口組幹部に昇格。
- 2024年2月28日、六代目山口組幹部・加藤徹次が若頭付に就任。
豪友会系譜
初 代 - 中山勝正
二代目 - 岡崎文夫
三代目 - 池本 審
四代目 - 山内鐘吉
五代目 - 山本克博
六代目 - 加藤徹次
六代目豪友会組織図
会長
加藤徹次(六代目山口組幹部・若頭付)
最高幹部
会長代行 - 土居学令(旭成会会長)
会長補佐 - 森本茂雄(大龍会会長)
若 頭 - 真鍋芳典(五代目坂井組組長)
本部長 - 高野志郎(克心会会長)
統括委員長 - 岡山一仁(八代目中津川組組長)
若頭補佐 - 池田以智郎
若頭補佐 - 嶋崎 恵
若頭補佐 - 和泉利幸(三代目誓心会会長)
若頭補佐 - 山口耕司(明道會会長)
若頭補佐 - 黒川孝一郎(二代目義進連合会長)
副会長
刈谷俊也(二代目誠龍会会長)
大塚和仁(和仁興業会長)
幹部
山下義幸(二代目大導連合会会長)- 服役中
若中
西村竜也
宮下 聡(勝仁会会長)
寒川健治
柴崎勝利
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