野村悟
野村 悟(のむら さとる、1946年11月10日- )は日本のヤクザ。指定暴力団・五代目工藤會総裁。日本の刑事裁判史上初の、指定暴力団トップへの死刑判決を受けた。
略歴
出生から収監まで
- 1946年、小倉市(現・北九州市)の富農の家に男四人、女二人の末っ子として生まれる。
- 10代から賭場に出入りする。
- 中学時代から自動車窃盗などを重ね、少年院へ収容されたため中学校の卒業式には出られなかった。
- 20代で工藤會・田中組組員の舎弟になる。
- 1980年頃、北九州市小倉北区の繁華街の元寿司店や自宅で賭場を開帳し、暴力団関係者のほか、金融・不動産業者や近隣の地方議員たちを集め、サイコロ賭博で一晩最高2億円の利益を得ていた。
- 1988年、母の死去に伴い、約7億円の遺産を相続し、その後の不動産売買でも数千万から億単位の収入を得ていた。
- 2000年頃、溝下秀男の意向で博打から手を引く。約20年間で約10億円が残り、その一部は融資に回していた。
- 潤沢な資金を背景に勢力を拡大し、三代目田中組組長、三代目工藤會理事長を歴任。
- 2000年、三代目工藤會会長・溝下秀男から四代目を禅譲。
- 2011年7月、工藤會の五代目を田上文雄が継承し、野村悟は五代目工藤會の総裁に就任。
- 2014年9月11日、北九州元漁協組合長射殺事件に関わっていた殺人容疑などで福岡県警に逮捕される。
殺人罪での起訴後
- 同年10月1日、看護師刺傷事件で組織的殺人未遂容疑で再逮捕。
- 2015年5月22日、歯科医師刺傷事件で組織的殺人未遂容疑で再逮捕。
- 同年6月16日、所得税法違反の脱税容疑で再逮捕。
- 同年7月6日、元警部銃撃事件で組織的殺人未遂容疑で再逮捕。
- 同月9日、所得税法違反の脱税容疑で再逮捕。
これらの容疑で計6回起訴された。
- 2023年現在、福岡拘置所に収容されており、裁判官、検察官、担当弁護人に、「引退を宣言し、約束する」と誓約した。
人物概要
- 実家は大地主であり、団地や企業に社宅用地として土地を売って多額の利益を得ていた。
- 野村によれば、工藤會本部事務所の周辺もかつて野村家が所有した土地であると言う。
- 工藤會の四代目を継承する際、「歳が同じ(先代の溝下秀男)ですし、永遠に親分について行くつもりだったから、困ったな」とコメントした。
関与事件
脱税
- 2018年7月18日、工藤會での上納金を巡る約3億2,000万円の脱税事件で、
福岡地裁(足立勉裁判長)から懲役3年・罰金8,000万円(求刑:懲役4年・罰金1億円)の有罪判決を受けた。
同年7月19日、福岡高等裁判所へ控訴。
- 2020年2月4日、福岡高裁(野島秀夫裁判長)が控訴棄却。
同年2月14日、最高裁判所に上告。
- 2021年2月16日付で、最高裁判所第三小法廷(宮崎裕子裁判長)が上告棄却、懲役3年・罰金8,000万円の有罪判決が確定した。
- 同年4月、罰金を関係者を名乗る人物が現金で納付した。
一般市民襲撃
- 4件の市民襲撃事件で、野村は田上文雄とともに殺人罪・組織犯罪処罰法違反・銃刀法違反の罪に問われた。
- 2021年1月14日、福岡地裁(足立勉裁判長)で開かれた論告求刑公判で、死刑を求刑された。
- 同年8月24日、福岡地裁から4つの事件で、いずれも野村悟が首謀したと認定され、求刑通り死刑判決を言い渡された。
日本の刑事裁判史上、指定暴力団の最高幹部への死刑求刑・死刑判決は初の事例となる。
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