碑文谷一家
十一代目碑文谷一家(ひもんやいっか)は東京都品川区大井1-27-4西山ビル3Fに本部を置く暴力団で指定暴力団・稲川会の二次団体。
略歴
- 幕末に四文安太郎が興す。四文安太郎は、浅草の新門辰五郎、魚河岸の佃屋三吉、大川端の小島和吉?らと並び称された。
- 林新吉(通称:籠新、出雲屋新吾)が二代目を継承。
- 大杉精一が六代目を継承。
- 今日の任侠系右翼の嚆矢である東海聯盟を主宰し、大正から昭和初期にかけて、田中大将三百万円事件、安田共済保険事件、徳川義親不敬ダンス事件などに動き、活発な右翼活動を展開した。
- 七代目・高橋梅吉が稲川会総裁・稲川聖城に自身の引退の相談をしたところ、稲川聖城は西山実を八代目として送り込んだ。
- 1959年または1962年、稲川会に加入した。
- 西山実が賭博で逮捕されたが、保釈中に韓国に逃亡。これを稲川聖城が怒り、1967年西山実は破門となった。
- 1967〜1974年の7年間総長不在。
- 1974年、稲川聖城の若衆で山崎屋一家六代目・長谷川春治が九代目を継承した。
- 三代目稲川裕紘体制になると、跡目を西山輝に譲って自身は稲川会最高顧問として若衆の指導にあたった。
- 熊谷正敏が十一代目を継承。
系譜
初 代 - 四文安太郎こと伊東安太郎
二代目 - 林 新吉
三代目 - 碑文谷栄次郎こと安東栄次郎
四代目 - 安藤伊之助
五代目 - 吉沢政吉
六代目 - 大杉精一
七代目 - 高橋梅吉こと高橋㐂之助
八代目 - 西山 実こと徐 順鐘
九代目 - 長谷川春治(稲川会最高顧問)
十代目 - 西山 輝こと徐輝(稲川会常任相談役)
十一代目 - 熊谷正敏
十一代目碑文谷一家組織図
総 長 - 熊谷正敏(稲川会渉外委員長・東京中央ブロック統括長)
若 頭 - 須藤 昇(稲川会代表理事・四代目西山組組長)
本部長 - 國分浩治(稲川会代表理事・二代目熊谷組組長)
組織委員長 - 石井千代蔵(稲川会代表理事・石井組組長)
慶弔委員長兼総長室室長 - 久能義之(稲川会代表理事・久能組組長)
執行部- 萬實員光(稲川会理事・萬實組組長)
執行部- 小澤章浩(稲川会理事・小澤組組長)
執行部- 新井慎一(稲川会理事)
執行部 - 青山秀明
本部付班長 - 金子明男(稲川会理事・金子組組長)
事務局長 - 渡邊禎久(稲川会理事)
相談役 - 仲山和昭
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