会津小鉄会
八代目会津小鉄会(あいづこてつかい)は京都府京都市左京区一乗寺塚本町21-4に本部を置く指定暴力団。
主な施設
略歴
初代
- 1868年、会津小鉄こと上坂仙吉が一家を結成。
- 1886年、上坂仙吉が病死。
二代目
- 1886年、上坂仙吉の実子・上坂卯之松が、会津小鉄二代目を襲名。
- 1935年、上坂卯之松が死去。名跡が途絶える。
三代目
四代目
- 1986年7月、四代目から会長職を置き、理事長・髙山登久太郎?が四代目会長を継承。三代目・図越利一は総裁に就任。
- 組織名称を会津小鉄会から会津小鉄に改称。
- 1997年2月、四代目・髙山登久太郎が引退。
五代目
六代目
七代目
- 2017年1月21日、六代目会長・馬場美次は総裁に就き、六代目会津小鉄会顧問・四代目いろは会会長・金子利典が七代目を継承。いろは会本部にて総裁・馬場美次、会長・金子利典による継承式が執り行われた。
取持人は九代目酒梅組組長・吉村光男、媒酌人は会津小鉄会・四代目寺村組組長・金城隆志がそれぞれ務めた。
一方、絶縁された原田昇も、七代目会津小鉄会会長を名乗り、親神戸山口組の金子派と親六代目山口組原田派の二つの会津小鉄会が存在する事態となった。
- 同年4月、京都地方裁判所は、下京区に位置する会津小鉄会本部事務所の使用を禁止する決定を出した。
- 同年5月5日、総裁・馬場美次が引退。
- 2021年1月22日、六代目山口組・淡海一家の事務所に於いて、三代目弘道会会長・竹内照明と、若頭・野内正博に、七代目会津小鉄会会長・金子利典が出向き、金子利典が一連の経緯から野内正博に頭を下げ、分裂した会津小鉄会会長・原田昇が会津小鉄会の若頭として戻り一本化。若頭・新原徹は本部長に降格。
- 六代目会長・馬場美次の印章を無断で使用し他の組織に送信する、この件は警察も事実を把握し、クーデターを起こした原田昇を再度会津小鉄会に戻し、三代目弘道会会長と若頭に頭を下げたということは、事実上弘道会に白旗を挙げたと解釈できる。もしこれが六代目山口組内部で起きていたともなれば、それは命の保証も無かっただろう。
系譜
初 代 - 会津小鉄
二代目 - 上坂卯之松
三代目 - 図越利一(中島連合会会長)
四代目 - 髙山登久太郎(二代目中川組組長)
五代目 - 図越利次(四代目中島会会長)
六代目 - 馬場美次(四代目中川組組長)
七代目 - 金子利典(四代目いろは会会長)
八代目 - 髙山誠賢
八代目会津小鉄会組織図
会長
髙山誠賢
執行部
若 頭 - 新原 徹(新原組組長)
舎弟頭 - 石本省二(石本組組長)
若頭補佐 - 北村光喜(二代目北村組組長)
若頭補佐 - 金城隆志
若頭補佐 - 千頭 弘 - 勾留中
組織委員長 - 前田 剛
会長秘書 - 上原秀俊(二代目上原組組長)
相談役
山岡敏雄
直参
岡本信行
筆保重巳
白浜善二郎?
東 泰明
伊藤貞幸
幹事
山下弘次
我那覇好二
大城 勇
大槻雅之
東 国政
居澤喜一
宮城広明
神崎賢二
関口 孝
大城 清
与儀征功
石田隆義
筆保 弘
岸 憲二
西村透凞?
山本和夫
新原勝夫
中村修一
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