植野雄仁
植野雄仁(うえの ゆうじ、本名・金奎轍(キム・キュチョル) 1952年2月18日- )は日本のヤクザ。指定暴力団・六代目山口組若中、二代目兼一会会長。
略歴
- 三代目山口組・菅谷組の出身。菅谷組舎弟頭、浅野組?組長・浅野二郎の若衆だった。
- 菅谷組解散後、浅野組?は四代目山口組と対立した一和会に加入。
- 浅野組解散後は山健組初代兼一会に加入した。
- 2015年8月、六代目山口組の分裂に伴い、神戸山口組に移籍。
- 2017年4月30日、神戸山口組若頭代行・四代目山健組副組長・織田絆誠らが神戸山口組を離脱し、任侠団体山口組を結成。
六代目山口組・神戸山口組・任侠山口組と3つの山口組が対立した。
- 2018年、兼一会が面倒を見ていたカジノ店にもかかわらず、太田興業に場所代が流れた事に反発した兼一会と太田興業が衝突。
同年2月7日、太田興業副組長・岡川賢二が話をつけに兼一会本部を訪ねた時、太田興業幹部と会食を終え、一緒にいた任侠団体山口組幹部で土倉組組長・土倉太郎が、兼一会組員に対して先に自らの杖で暴行。
これに怒った兼一会・須田総業組長・須田真光らが、土倉に暴行を加え、鼻などを骨折する重傷を負わせた(※)。
- 同年2月11日、植野雄仁は四代目山健組統括委員長を務めていたが絶縁。
- 同年2月21日、六代目山口組・極心連合会に移籍、副会長に就任。
- 同年8月8日、2017年に京都市内の飲食店経営会社の男性役員から、みかじめ料など現金を脅し取ったとして京都府警に恐喝容疑で逮捕された(※)。
- 同年11月14日、大阪府警の家宅捜索を受けると知りながら、2月7日に起きた傷害事件の証拠となる監視カメラの映像を消去したとして、植野雄仁ら組員11人が組織犯罪処罰法(組織的証拠隠滅)の容疑で逮捕・起訴された(※)。
事件当初、大阪府警が映像の任意提出を求めたが応じなかったため家宅捜索。押収した映像は該当部分が削除されていた。
- 2019年5月、極心連合会本部事務所内で、組員が最高幹部に暴言を吐いたとして、当時組員だった40代男性の顔を殴るなどの暴行を加え、左目を失明するなどの重傷を負わせたとして植野雄仁ら組員6人が傷害容疑で大阪府警に逮捕された(※)。
- 2019年6月、監視カメラの映像を消去した事件で、大阪地裁は植野雄仁に懲役2年、執行猶予3年の有罪判決を言い渡した。
- 2019年11月、神戸山口組からの移籍組である杉本組組長・山田一と共に、六代目山口組若中に昇格。
- 2021年3月、2019年5月に起きた傷害事件で、大阪地裁は植野雄仁に懲役1年6月(求刑3年6月)の実刑判決を言い渡した。
被害者の組員とは示談が成立していて処罰感情もなく、刑の軽減を求める嘆願書が出されていて、判決を不服として控訴。
- 同年12月、大阪高裁は控訴を棄却。その後、最高裁に控訴したが棄却され、刑が確定した。
- 2022年10月24日、刑が確定していた植野雄仁は収監された。
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