松山眞一
松山眞一(まつやま しんいち、松山真一、本名・曺圭化(そう けいか、チョ・キュファ) 1927年 - 2022年5月7日)は日本のヤクザ、右翼。指定暴力団・極東会会長。極東五代目。右翼団体・松魂塾最高顧問。
略歴
- 1927年、東京・板橋生まれ。
- 戦前から不良で鳴らし終戦後、新宿の極東関口一家・三浦周一の盃を受け稼業入り。極東の新宿進出の尖兵として活躍、関口愛治からも高い評価を受けていた。
- 1975年、三浦周一の死去に伴い、三浦二代目を継承。
- 1976年、三浦連合会を結成、総長に就任。
- 1983年、東京都豊島区池袋で、住吉連合・幸平一家と、三浦連合会(後の極東眞誠会)との間で抗争が勃発。堀政夫と松山が会談し和解が成立。これを機に博徒と的屋で親睦を図っていく機運が生まれた。
- 1984年、松山眞一らが中心となり、関東圏の神農団体69家名が大同団結、連絡調整機関として関東神農同志会を結成。極東はその中核的役割を担った。以後、関東神農同志会は博徒系暴力団の親睦団体である関東二十日会と定期的な交流を開始。
- 1985年、三浦連合会を眞誠会に改称。
- 1990年11月、極東関口会を極東会に改称し会長に就任。
- 1993年7月21日、東京都公安委員会が極東会を指定暴力団に指定。
- 同年、四代目田中春雄の死去に伴い、同年10月に極東桜井一家関口五代目を継承。
- 1993年以降、松山は極東会にテキヤで初の直参制度を導入し、一次団体と二次団体の間に「上下関係」のない連合組織から極東会を一次団体とするピラミッド型組織への改革を断行した。
- 1995年5月、稲川会会長・稲川裕紘と親戚血縁盃を交わす。
同年7月、住吉会会長・西口茂男と親戚血縁盃を交わす。
- 1996年3月、松葉会会長・牧野国泰と親戚血縁盃を交わす。
- 1998年、関口五代目を極東五代目と改称。
- 2015年、極東会会長を退き、当時理事長であった髙橋 仁が会長に就任。退任後も極東の当代として実質的なトップの地位にあった。
- 2022年5月7日、死去。94歳。
- 五分兄弟分に、三代目山口組・白神組組長・白神英雄、全桝屋連合会会長・児玉勤、十代目飯島連合会会長・吉村純輔など。
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