住吉会
住吉会(すみよしかい)は東京都に本部を置く指定暴力団。
主要施設
概要
- 前身は港会→住吉会→住吉連合→住吉連合会→住吉会。
- 関東博徒組織並びに対外組織との平和協定に基づいた関東親睦会に加盟。
- 勢力範囲は、警察白書によれば八代目住吉会継承以降、北海道から九州地方まで全国規模の1都1道2府31県に勢力を持つ博徒組織。
略歴
住吉一家〜港会
▴ 詳細を表示
住吉会〜住吉連合〜住吉連合会
- 1964年、港会は住吉会に改称した。青田富太郎の後に港会会長に就いていた磧上義光が住吉会会長に就いた。
- 同年6月20日、磧上義光が親睦団体・関東会の二代目会長に就任した。
- 1965年、第一次頂上作戦により磧上義光が逮捕され、同年住吉会は解散した。
- 同年、友愛会が解散した。
- 1967年、磧上義光が死去。同年、中里一家四代目・堀政夫が住吉一家五代目を継承した。
- 1969年、旧住吉会が再集結し住吉連合が結成。堀政夫が住吉連合代表に就いた。
- 旧・友愛会の幸平一家、圡支田一家、滝野川一家が住吉連合に加入した。
- 1972年、北関東の博徒の連合組織親和会が住吉連合に加入した。
- 1974年、福島・茨城の博徒の連合組織丸唐会が住吉連合に加入した。
- 1978年から1983年、住吉連合・幸平一家・池田会が極東関口会三浦連合会と抗争事件を起こした(池袋抗争)。
- 1979年、石巻市の西方二代目が住吉連合に加入した。
- 1982年、住吉連合は住吉連合会に改称した。堀政夫が住吉連合会会長に就いた。
- 1986年、北海道釧路市の三心会が住吉連合会に加入した。
- 1988年、堀政夫が住吉連合会総裁に退き、日野一家四代目総長・川口喨史が住吉連合会会長に就いた。
- 1989年、住吉連合会傘下の小林会が寄居真会本部を完全占拠し、抗争事件を起こした(住吉連合会と寄居一家の抗争)。
- 1990年、住吉連合会会長の川口喨史が死去。
- 同年、向後二代目・西口茂男が住吉連合会会長に就いた。
- 同年10月、住吉連合会総裁である堀政夫が死去。
- 1991年3月、暴力団に対する法整備を改正し、暴力団新法が公布された。
▴ 詳細を表示
住吉会~九代目住吉会
- 1991年、住吉連合会は住吉会に改称した。西口茂男が住吉会会長に就いた。同時に西口茂男が住吉一家六代目を継承した。
西口茂男はそれまで連合組織であった住吉会を縦割りのピラミッド型組織に改組し(いわゆる直参制)、各傘下団体の長と親子・兄弟盃を交わした。
- 同年、東北地方最大の的屋組織であった共和会・西海家総連合会が住吉会に加入した。同年、共和会・東京盛代錦戸連合会が住吉会に加入した。
- 同年、宮城県古川市の東京盛代盛永会が住吉会に加入した。
- 1992年1月、義人党が解散し旧勢力か武蔵屋一家十代目として住吉会に加入した。
- 同年3月、暴対法が施行され、指定暴力団に指定された。
- 1998年、西口茂男が住吉会会長を退き、小林会二代目・福田晴瞭が会長に就いた。
- 2001年、二率会が解散し、二率会・東京小金井一家の新宿・十二社・渋谷・府中・四軒寺(吉祥寺)等の都内勢力が住吉会に加入した。
- 同年8月、東京都の葬儀場で向後睦会会長・向後四代目・熊川邦男と滝野川一家七代目総長・遠藤浩司?が稲川会・七代目大前田一家組員に射殺された(四ツ木斎場事件)。
- 2002年9月21日、新宿区歌舞伎町の大型喫茶店「パリジェンヌ」で、午後19時頃に幸平一家十二代目組員と東北系中国マフィアが話し合いの場を持っていたのだが、話し合いが決裂、東北系中国マフィア側がテーブルに拳銃を置き、「撃ってみろ」と挑発。組員側の1人が、その拳銃に手をかけた瞬間、東北系中国マフィア側が拳銃を取り出し組員に向け一斉射撃。組員側の1人が即死、1人が重傷を負った。翌月の10月、主犯の運転手を務めた東北系中国マフィアが新宿区上落合の路上にて、全身14カ所以上の刺し傷を負った惨殺死体で発見された(パリジェンヌ事件)。
- 2003年1月、幸平一家十二代目・矢野睦会組員が稲川会・大前田一家幹部を銃撃、巻き添えになった一般人が死亡した(前橋スナック乱射事件)。
- 同年、住吉会傘下の親和会が五代目山口組・弘道会と抗争事件を起こした(北関東抗争)。
- 2004年10月24日、住吉会・三代目中村会幹部・片桐俊が、五代目山口組・貴広会幹部2名を浅草ビューホテル内の喫茶店で射殺した(浅草発砲事件)。
- 2005年、福田晴瞭が住吉一家七代目を継承した。
- 2007年2月5日、東京港区西麻布の路上で住吉会・住吉一家・小林会三代目会長秘書・直井組組長代行・杉浦良一?が、六代目山口組・五代目國粹会組員により射殺された(麻布抗争)。
- 2008年、住吉会・伊勢野会が、六代目山口組・二代目小西一家・二代目堀政連合傘下の鈴木寛茂?相談役を刺殺し、住吉会・三角一家八代目を含めた抗争事件に突入した(埼玉抗争?・ふじみ野抗争事件)。
- 2014年、福田晴瞭が住吉会特別相談役となり、共和一家六代目総長・関功が会長に就いた。
- 2017年9月、西口茂男が死去。
- 2019年頃から、東京都多摩地区、新宿区歌舞伎町、神奈川県北東部・湘南地域・群馬県中部・西部地域で住吉会・十三代目幸平一家系と稲川会系二次団体との衝突が頻発し、両組織による発砲事件や殺害事件に発展していく。
- 2021年2月、十三代目幸平一家総長・加藤英幸の尽力により、道仁会会長・小林哲治と、会長・関功が熟慮協議を重ね、九州親睦団体・四社会承認のもと、業界初となる道仁会と住吉会は「五分の兄弟会」の親戚縁組を交わした。
- 2021年4月20日、新役員改正と組織改革により、関功が会長から代表となった。主な特徴として代表職、代理職を新設し、事実上住吉会は代表、代理、役員のみで構成される組織となり会長、最高幹部共に組織的改革により分離される様になった。会長は実務レベルの総責任者に位置付けられ、小川修司(七代目共和一家総長)が九代目住吉会会長に就任した。
- 同年5月13日、七代目共和一家本部にて、住吉会・道仁会・五代目工藤會での懇親会が行われた。住吉会と工藤會とは、三代目工藤會から付き合いが始まり、四代目でより親交を深め、五代目工藤會発足の儀の折には、道仁会、太州会、熊本會という四社会の加盟各団体の首領らに加え、住吉会の首領にあたる(当時)住吉一家七代目総長の福田晴瞭、計4名が特別見届け人として列席しており、五代目工藤會親戚団体の関係であることを踏まえ、現在勾留中の野村悟総裁、田上文雄会長、菊池啓吾理事長の代理として、五代目工藤會最高幹部が出席したことが伺える。
- 同年10月20日、同年4月から小川修司会長の住吉会体制となっていたが、新型コロナ感染拡大や東京オリンピックなどに配慮していた「九代目住吉会会長代目継承盃」の儀式が、警視庁、千葉県警、埼玉県警の私服捜査員が20人ほど敷地内で待機し、厳戒態勢の中で埼玉県日高市の関連施設にて執り行われた。
- 2022年5月31日午前、千葉県いすみ市内の別荘で代表・関功が脳内出血で倒れ、千葉県内の病院に救急搬送されたが、同日正午過ぎに死亡が確認された。享年76歳。
- 同年6月3日・4日・5日、共和一家本部で関功の住吉会葬儀が営まれ、全国27団体の組織代表や最高幹部らが参列した。
3日は東日本の主要組織を中心に多くの組織からトップが弔問に訪れ、4日には西日本を中心とした多くの主要組織のトップらが参列した。
出迎えには住吉会、共和一家ともに後継となった会長・小川修司が中心となり、2日間にわたり全国の首領が集結する盛大な葬儀となった。5日は住吉会会葬とし、盛大に関を送り出した。
- 同年7月20日、埼玉県日高市の関連施設にて関功の四十九日法要が執り行われ、会長・小川修司をはじめ、執行部を含む幹部ら約350人が参列した。
- 2023年6月20日、執行部が刷新される大型新人事を発表。新役員改正により、従来までの代理職を廃止し、九代目会長を頂点とした体制を強化した。
- 古くからの連合体意識が残る組織から組織一本化へと強化を図るため、一家一門が協議し、総意のもと会長・小川修司と、執行部役員、各一家の当代が舎弟、親子盃を執り行うこととなった。
- 同年9月18日、埼玉県日高市の関連施設で、小川修司と執行部16名、中央委員10名、専任相談役33名の計59名という異例の大型盃儀式が執り行われた。
この盃儀式は組織内での序列が明確となる歴史的な大改革となった。
▴ 詳細を表示
系譜
初 代 - 伊東松五郎(日本橋住吉町貸元)
二代目 - 倉持直吉(初代中里一家直系若衆)
三代目 - 阿部重作(芝浦高木組代貸)
四代目 - 磧上義光(旧住吉会会長・磧上会会長)
五代目 - 堀 政夫(中里一家四代目総長)
六代目 - 西口茂男(向後二代目会長)
七代目 - 福田晴瞭(小林会二代目会長)
八代目 - 関 功(共和一家六代目総長)
九代目 - 小川修司(共和一家七代目総長)
九代目住吉会組織図
会 長
小川修司
特別相談役
柴崎靖忠(馬橋一家七代目総長)
加藤英幸(幸平一家十三代目総長)
最高顧問
福田晴瞭(住吉一家七代目総長)
常任顧問
小林忠紘(小林会三代目会長)
会長補佐
児島秀樹(京王会会長)
中央執行役員
会長代行 - 小坂 聡(幸平一家十三代目総長代行)
理事長 - 藤生一男(大前田一家九代目総長)
幹事長・東京西南地区統括長 - 津波宏志(六代目向後睦会会長)
本部長・東京城北地区統括長 - 近藤耀靖(東京共和会二代目会長)
総務長 - 相良福一(小林会三代目会長代行)
組織統括長 - 入里林一(幸平一家十三代目幹事長)
執行役
組織委員長・東関東地区統括長 - 大多和賢治(共和一家八代目総長)
渉外委員長 - 金 亨東(幸平一家十三代目幹事長補佐)
統括委員長・北海道・東北地区統括長 - 水戸龍哉(西海家九代目総長)
運営委員長・埼玉地区統括長 - 時田康雄(川越平塚一家六代目総長)
総務委員長・北関東地区統括長 - 田中政明(田中会初代会長)
諮問委員長 - 時田雅章(中村会四代目会長)
審議委員長 - 高瀬輝明(領家一家七代目総長)
風紀委員長 - 河本正宝(四軒寺一家初代総長代行)
懲罰委員長 - 稲葉和三(親和会四代目本部長・山越一家八代目総長)
事務局長・東京城東地区統括長 - 松山博文(江島一家六代目総長)
事務長 - 仁木昌弘(鶴川一家六代目総長)
特別常任相談役
長久保征夫(青田会三代目会長・府中一家初代総長)
永井 實(中里一家六代目総長)
村田吉弘(四軒寺一家初代総長)
菊池紘一(浅草高橋組組五代目長)
佐藤鉄栄(幸平一家十三代目総長舎弟・上板橋貸元・佐藤睦会会長)
舎弟・常任相談役
内山文男(丸唐会六代目会長相談役、大塚一家六代目総長)
関 秀夫(牧友睦四代目会長)
並木 實(圡支田一家九代目総長)
中野 勉(奥州山口一家六代目総長)
山口 徹(武州前川一家十代目総長)
高橋勝郎(西和一家二代目総長)
洗 亨(親和会四代目会長)
粉川 彰(飯倉睦会初代会長)
直参・中央委員
代行補佐 - 上﨑将貴(十二社一家二代目総長)
代行補佐 - 山川光則(稲毛一家四代目総長)
岩田光芳(三角一家九代目総長)
松戸一郎(大日本興行三代目会長)
山田 孝(丸唐会六代目会長)
福田孝夫(丸唐会六代目会長代行・國分睦二代目総長)
会長付 - 鎌田俊昭(中村会四代目会長代行)
会長付 - 土屋研二(幸平一家十三代目本部長補佐・加藤連合会本部長、聡仁組組長)
会長付 - 柴田智生(沼澤会三代目会長)
会長付 - 小島 洋(平塚一家八代目総長)
直参・専任相談役
梅田幸三(花田会四代目会長)
鈴木義治(鈴木組組長)
明 南秀(滝野川一家九代目総長)
杉沼 登(廣瀬一家七代目総長)
桑子利雄(親和会四代目会長代行、須永一家十二代目総長)
渡邉孝夫(親和会四代目特別相談役、大島一家十代目総長)
渡辺幸雄(親和会四代目理事長補佐・渉外委員長、泉一家八代目総長)
山野井保夫(親和会四代目理事長補佐・懲罰委員長、武士一家八代目総長)
高山國男(野田一家四代目総長)
渡辺進次(音羽一家八代目総長)
山内 登(山ヶ井戸一家十代目総長)
齋藤 治(親和会四代目理事長・勘助一家十三代目総長)
児玉信夫(波木一家八代目総長)
竹内佳広(中原会三代目会長)
山本豊佳(日野一家八代目総長)
斎藤貞夫(田野一家八代目総長)
小山 博(田中同人会二代目会長)
大塚 尚(親和会四代目理事長補佐・慶弔委員長・光京家一家四代目総長)
曲山憲一(親和会四代目理事長補佐・組織委員長・稲葉一家八代目総長)
酒井功芳(稲葉興業会四代目会長)
猪刈隆文(丸唐会六代目常任相談役・小柳一家七代目総長)
篠田重正(親和会四代目理事長補佐・統括委員長・下馬木一家八代目総長)
遠藤勝広(丸唐会六代目常任相談役・小名一家六代目総長)
荒井謙一(関東長者町会四代目・長者町四代目会長)
宮田康弘(大和田田久保一家六代目総長)
小田倉隆(広川会四代目会長)
田村輝典(福中三代目)
鈴木精一(青心会二代目会長)
宮崎英治(武蔵屋一家十一代目総長)
遠藤喜男(丸唐会六代目本部長・神谷一家五代目総長)
浜口和秀(武州伊勢野一家二代目総長)
須賀祥行(親和会四代目会長補佐・栃木一家四代目総長)
池田英樹(富田一家八代目総長)
参与
小倉正治(江島一家代表)
大野吉英(家根弥一家九代目総長)
友好組織
■ 道仁会 - 兄弟会
■ 五代目工藤會
■ 関東親睦会
■ 極東会
■ 九州親睦団体・四社会
検索用
▴ 詳細を表示
- この項目は書きかけ項目です。
- 役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正にご協力ください。
※誹謗中傷や悪戯、荒らし行為、悪質な売名行為、他サイトの宣伝などは厳禁とします。
- 編集される際は「テキスト整形のルール(詳細版)」をご覧ください。
- 編集を依頼される場合、他のユーザーに編集協力を依頼する時は下記の【このページの編集依頼】または【加筆・編集依頼】から編集対象のページタイトル・編集内容をできるだけ詳しく記載の上、依頼してください。
運営宛に編集依頼する時は【メールで編集依頼】から依頼してください。
【このページの編集依頼】