黒澤 明
黒澤 明(くろさわ あきら)は日本の元ヤクザ。三代目山口組・黒澤組組長。1984年引退。
略歴
- 柳川組出身者。
- 佐々木組組長・佐々木道雄の舎弟。
佐々木組の前身である地道組を経て、三代目山口組直参に昇格。
- 頭脳派であり、武闘派としても知られ、三代目山口組組長・田岡一雄からの信頼も厚く、次期執行部入りが確実視されていた。
- 10年戦争と言われた沖縄問題の解決に奔走し、また、反山口組の関西二十日会とのパイプを築くなど外交手腕は高く評価され「山口組のキッシンジャー」と呼ばれた。
- 1960年、「明友会事件」では襲撃の先頭に立ち、懲役13年の刑を受けた。
- 1981年7月23日、三代目・田岡一雄が病没。
- 1982年2月4日、田岡一雄の後を追うように若頭・山本健一が病没。跡目候補筆頭である若頭を失ったことで、竹中組・竹中正久派と山広組・山本広派で跡目争いが起こる。
- 1984年、三代目姐・田岡文子の意向もあり、竹中正久が四代目を継承した事に反発した山広組・山本広や加茂田組・加茂田重政らが山口組を脱退して一和会を結成。
四代目山口組と一和会は「山一抗争」に突入した。
- 人脈的には一和会側に近かった黒澤明だが、恩義ある「菱の代紋」に弓を弾くことは考えられず、また、兄貴分が一和会最高幹部である以上、けじめをつけずに山口組に残ることはできないという岐路に立つ。
- 同年、極道人生絶頂期であった黒澤明は、四代目山口組、一和会のどちらに参加することなく引退という道を選んだ。
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