高砂屋綱助
高砂屋綱助(たかさごやの こうすけ、本名・高橋綱助)は幕末の侠客、博徒。高砂屋一家二代目。
略歴
- 長岡の人。
- 文政3年(1820年)、高砂屋治助こと高橋治助の倅に生まれる。
- 若い頃、父治助の故郷である上州に旅立ち、大前田英五郎、国定忠治らに厄介になり、次いで東海道、甲州、信州に旅をかさね、渡世人としての仁義作法を身につけ、数年後に一人前の侠客となって石内に戻ってきたという。
- 全身に大小四十五ヶ所の傷があったという。
- 間ノ川一家高瀬仙右衛門の弟分で三条の恵比寿屋助之亟、新飯田惣七とは兄弟分。
- 文久2年4月22日歿。行年42歳か。墓所は新潟県長岡市亀貝町の妙音寺。
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