鈴木勝蔵
鈴木勝蔵(すずき かつぞう、通称・坊主勝)は幕末の侠客、博徒。
略歴
- 庵原郡富士川町岩淵の人。
- 坊主勝は岩淵の遊人で、岩淵源七とは仲が悪かった。
- ある時、蒲原の海岸で果し合いをし、坊主勝が一刀を抜き源七は手拭を出して両端に石を包み「とつこ」を作ってブンブン振回し「これでいい、さぁ来い」と立向かった。然し脇差と「とつこ」では問題にならない源七はたちまち全身に疵を負って倒れた。
あとで調べたら三十七ヵ所も斬られていたという。源七の度胸に恐れ入った坊主勝が弟分にしてくれと折れて出た。
- その後坊主勝は、遠州山梨巳之助のところに寄食し、森ノ五郎の娘を女房にして顔を売ると、岩淵に戻り源七と協力し、岩淵、蒲原、由比、本市場、元吉原、吉原と富士、庵原の二郡にわたって賭場があったという。
- 坊主勝の墓は富士市今泉の法雲寺にあるが、墓には鈴木小市、妻かね、鈴木種吉、下野国豊吉、遠江国勝蔵墓と刻んであるだけで、法雲寺の過去帳にも勝蔵の戒名や歿年は記録がない。
- 鈴木小市は大場一家貸元今泉小市(明治15年歿)で、墓左側面の多作、吉兵エ、幸吉の三人は今泉小市の子分。鈴木種吉、下野国豊吉については判らない。
- 遠江勝蔵?は鈴木勝蔵か。
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